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2014年2月23日 (日)

浅田真央狂想曲

 ソチ五輪が終わろうとしている。
 終盤に来て、メダル獲得数が話題に挙がる中、唯一、例外に無冠に終わった浅田真央の最後の演技が称賛を浴びた。

 ショートプログラムでの16位スタートは、誰も想像だにしなかったことだが(もちろん当人でさえ)、これは“浅田真央らしく”有終の美を飾るための神様からの贈り物だったのではないだろうか。決して試練なんかではなく。

 わずか14歳で、シニアの国際大会で鮮烈デビューし、その年、グランプリファイナルでも優勝をさらっていった。その時の彼女は怖いもの知らずで、まさに天真爛漫の演技だったことを覚えている。周囲が天才少女と騒ぐのよそに、ただただ無邪気にリンクを舞っていたのがとても印象的だった。

 が、彼女は“成長”する。大人になるということは“恐れ”についてのセンサーが働いていく過程でもある。恐怖を徐々に感知するようになり、とうてい14歳の頃と同じように無邪気には踊れなくなっていった。
 同年代として常にライバル視された金妍児が、その大人になる過程を“ギラギラさせていく”ものとしてうまく成長していったのとは対照的に。
(ただ、その金妍児もバンクーバーの時とは違って、ソチでは輝き切れていないように見えた)

 世間は、いつしか浅田に金メダルとトリプルアクセルを要求していく。しかも、14歳でマスメディアに登場するようになった時と同様のあどけなさも重ねあわせて、“真央ちゃん”と呼びながら。そうしたアンビバレントな難題をずっと突きつけてきたのだ。
 否、そんなことはなかったのかもしれないが、少なくとも浅田本人はそれを意識せざるを得なかっただろうし、振り払おうとすればするほどそこに取り憑かれていった。

 そうした呪縛から解き放たれるためには、メダルにはとうてい届かず、ファンが失望落胆する「16位」という思いがけない結果が必要だったのだ。それは、悲劇ではない。浅田が心置きなく踊れる最後の舞台を神様が用意してくれたのだ。
 彼女がフリーの演技を終えた後、「自分が目指しているフリーの演技ができた」と言葉にしたのは、もしかするとあの無邪気なままの浅田らしいスケートを思い出すことができたという意味なのかもしれない。

 彼女が現役最後に選んだのはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。周りを気づかう浅田が恩返しとして滑った「協奏曲」ではなく、これからは形式にとらわれない自由気ままな「狂想曲」を滑ってほしいと個人的には思う。
 彼女は金メダルを取るために生まれてきたのではない。

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コメント

若いときは失うものがほとんどないので、
思いきってチャレンジャーとして挑めるし、
体も軽く、エネルギーにもあふれている。。
でもそれも「時の花」。やがては次の段階へ。
おそらくそれまでの過程を知っている人は
それを重ねてドラマができるので、感動が
生まれたんでしょうね。
金妍児(キム・ヨナ)選手のことはそれに
比べれば、よく知らないし、ライバルとしての
情報ばかりなので、感動の物語は生まれにくい
ですが、たぶん、知れば知るほど。。でしょうね。
個人的には、名前が「金」なので、金だヨナと
思ってました。おあとがよろしいようで。

いつまでも「ちゅうきょうのマオ」でいて欲しいな。

中京の真央 --->> 中共のマオ

森井さん、座布団1枚!
山田く〜ん、isaacさんの座布団1枚とってぇ〜(笑)。

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