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2014年2月21日 (金)

ファルージャ〜自己責任論の果てに

 先日、渋谷のアップリンクに行った。ここではゼミ生たちImg_7586_3『100,000年後の安全』を観に行き、最近では『陸軍登戸研究所』を観た。
 今回、映画『ファルージャ』を観に行ったのは、今年度の講義で2度 「自己責任論」を取り上げたからだった
(一度は「開発とNGO」という自分の大学の講義で、もう一度は非常勤講師として聖心女子大学でもった「ボランティア研究概論2」で)

 10年前に起こったイラク人質事件を記憶している学生はもうほとんどいない。ましてや、一般名詞としても聞こえる“自己責任”という言葉が、特別な意味を持って固有名詞的な扱いで使用されたことなど知る由もない。皮肉なことに、10年を経てその言葉は使い古され、本当に一般名詞となっている。「自己責任」という言葉が軽々と巷で飛び交う社会がどれだけ生きづらい社会なのか認知しづらくなっているのだ。
 そうした世知辛さに麻痺している若者たちには、とりわけ、このことについては考えてみてほしいと思ったのだ。

 映画は、当時と今のイラクを映し出しながら、まずイラク人質事件がなんであったのかを懐古する。そういう意味では、映画の半分は
記憶をなぞるもの、つまり私の知っていることだった。2003年のイラク戦争開戦前のデモには私も参加したし、当時、それをテーマにワークショップをプログラムしたことも蘇る。開戦を告げるブッシュ大統領の表情は、何度も素材として活用したので焼き付いている。

 セミナーに来てもらった元TBSアナウンサーの下村健一氏の姿もスクリーンにあった。当時、年齢の割には童顔で若々しかったのが、白髪まじりの初老に見えたのも歳月の経過を思わせた
(今は大学で教鞭をとっているようで、私と違ってその立場が風貌をそうさせたのかもしれないが(笑))
 彼は、映画の中で北海道庁東京事務所の跡地
(今は別の建物になっていた)を訪れる。そこは人質となった今井君らの被害者家族が日本政府に対して「(息子たちを助けるための解放条件となっている)自衛隊をイラクから撤退させてほしい」と懇願した場所だ。その後、「危険も顧みずに行ったのだから自業自得。そのために税金を使うのは無駄だ。政府の方針に口出しするな」と、事務所の日常業務に支障を来すほど膨大なFAXが送りつけられる。その時、下村氏は山積みになったFAXを1枚1枚数えたそうだが、批判的なものは約500通で、応援するものが約800通だったそうだ。肯定的なものが否定的なものを上回っていたという空気は、マスコミからは当時まったく感じられなかった。

 映画後半、人質となった高遠菜穂子さんと今井紀明さんの今の様子がみられる。事件後、対人恐怖症となったと聞いていたので、彼らのしっかりとした声にホッとした。友人でもなんでもないが、その声色に、迷いながらも今の生き方を肯定できていることが感じられ、嬉しかった。「自己責任」と吐き捨てた社会がすべてではないと分かったのは、自分にとっても救いであったのだ。

 高遠さんは今もイラク支援を個人で続けている。国際機関もNGOも行かないようなニッチな活動を自分にできること、そして自分らしさだとして。その矜持がくじけそうになる自分を奮い立たせているようだった。

 今井さんは、自分の境遇を重ねあわせるかのように、「D×P(ディー・ピー)という通信制高校を支援するNPO法人を立ち上げた。彼は、10年前の出来事を口にしながら
(やっと語れるようになったのだろう)、高校生たちとともに現代社会が抱える問題に立ち向かっていた。

 映画は最後、必死に“自分の責任”を模索し、それを果たそうとしている彼らの姿を映し出す。
 一方で、当時、「自己責任論」をぶちまけた小泉元首相をはじめとする政治家先生たちに取材を申し込むが、誰一人として取り次いでくれない“無責任さ”も照らし合わせる。
 その滑稽さをみて、本当に「あれはなんだったのか?」と思わざるを得ない。

 唯一、当時の関係者で取材に応じてくれたのは、柳澤協二氏だった。彼は、小泉政権時代、首相官邸で内閣官房副長官補
(安全保障担当)を務めた人である。言わば“身内”の人である。
 その彼が当時の対応を「日米同盟の維持」が前提だったと自省し、『検証 官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』という本も上梓していた。過去をふりかえり、「思想はなく、アメリカとどううまくやるか」ということを考えていたと言い、「日本は何をしたいのかが見えてこない」と語っていた。それは、昔も今もそうだということなのだろう。

 気がかりなのは、3人いた人質のうち、フリーのジャーナリストだった郡山総一郎氏だけが映画に登場してこなかったことだ。海外を飛び回っており、取材できなかったとのナレーションがあったが、本当に理由はそれだけなのだろうかと訝しがってしまう。ネットで検索しても彼の活動ぶりはあまり見えてこない。

 ジャーナリストと「声」を持てなくなったのであれば、致命的である。
 このドキュメンタリー映画は、高遠さんと今井さんが前を向いて歩いている姿はしっかと描き切ったが、そこに郡山さんの姿は全くなかった。観終わって、隔靴掻痒の感がある。
 ただ、その不完全さこそ、この10年前の自己責任論が未だ決着をみていないということを物語ってもいるのだろう。

【参考】
・毎日新聞(2014年1月26日) 「自己責任」乗り越え イラク人質事件 今井紀明さんの夢
・朝日新聞(2014年2月7日) イラク人質 今井さんの今 バッシングの嵐 話せば伝わる
・朝日デジタル(2013年4月8日) 批判乗り越え、若者支援NPO イラクで人質・今井さん
 http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY201304080043.html
・ハフィントン・ポスト 映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件...そして」 自己責任批判から10年、28歳の伊藤めぐみ監督の視点
http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/12/fallujah-movie_n_4741992.html

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コメント

以前の話題を時間を隔てて検討するのはとても
いい学習になりそうですね。「あのとき」には、
まったくわからなかったものが見えてきそうで。

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