骨髄バンク支援

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2014年8月

2014年8月31日 (日)

スリランカ訪問記その4〜旅を終えて

 今回の研修の目玉には、スリランカ最大のお祭り「ペラヘラ」鑑賞がひとつあった。言ってしまえば“観光”であって、“研修”においてそれを目玉に据えるというのは「お遊びではない!」と叱責を受けそうだが、言い方を変えれば「他国の文化見学」なのである。

 勉強した証にその歴史を少し記そう。言い伝えによれば、入滅した仏陀の遺骨はインド各地に分骨されたのだそうで、そのうちの犬歯が、紀元前4世紀、インドのカリンガ王の娘がスリランカのシンハラ王家に嫁いだ際、結い上げた髪にお守りとして忍ばせられ、スリランカに渡ってきたのだという。その犬歯(仏歯)は、王朝が遷都を繰り返すたびに転々と移動させられるが、キャンディに遷都した際(1592年)、仏陀の犬歯を祀るための仏歯寺が建立され(1603年)、これまで崇められてきた。そうした歴史の中で、仏歯を崇める習慣やお祭りがスリランカで生まれ、そのひとつがペラヘラ祭りなのである。

 ペラヘラとはシンハラ語で「行列」を意味する。実に興味深いのは、仏歯が納められている(という)舎利容器を背に載せた象の後を、ヒンドゥー教のご神体を載せた象たちの行列が続いていくことだ。つまり、このお祭りは仏教とヒンドゥー教のミックスなのだ。しかも、その行列ごとに微妙に踊りや太鼓のリズムが違い、民族・地域ごとの特色を表している。まさにこの多様性と寛容さこそがスリランカなのである。

 ただ、このために津々浦々から集まるスリランカ人(プラス世界各国から見物に来る観光客)で埋まる祭りの異様さは、荘厳というよりは喧騒でもあり、この豪華絢爛ぶりが権力の象徴であったのだろうと思わずにはいられない。

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 この研修中に感じたのは、物価の高さと中国の台頭である。以前であれば、アジアを旅するのに、ケチケチ値切りはするものの、結局はあまり値段を気にするようなことはなく、食事も子どもの小遣い程度でお腹いっぱいになったものだった。しかし、(観光地であったからでもあるが)物価は日本とさほど変わらないと思うことが多かった。世界のあちこちで中国のプレゼンスを感じるのは、もう当たり前で改めて驚くことはない。ただ、これも自分が海外に行くようになった20年ほど前では感じ得なかったことだ。

 一方で、訪れた孤児院で出会ったのは、多くが貧困を理由に手Img_8774 放された子どもたちだった(つまり親と死別したわけではない)。やはり、変化の見えるスリランカにおいても貧富の格差は一向に縮まらないという状況を打開できていない。変わりゆくものと停滞しているものともまた混在しているのが、スリランカである。
 研修終盤で訪れた世界遺産・シギリアロックは圧巻だった。それは、その景色に対してばかりではなく、およそ200mもの高さにある岩の塊に要塞の如く王宮を築いた人間の強欲さに対してもである。その頂から眺めれば、今に至るまで人類はこうまでして所有したいという青天井の欲望を抱き続けてきたのかと摩訶不思議に思えてならない。その思いと突き抜ける空の青さもまた奇妙なコントラストを描いていた。

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2014年8月 5日 (火)

スリランカ訪問記その3〜サルボダヤ

 コロンボ市内をバスでまわっていると"BUDDHIST TV"という看板が目に入る(ちなみに"BUDDHIST RADIO"もあった)。ガイドのサラットさんによれば、このチャンネルが結構スリランカの若者に視聴されていて、瞑想し“マジメな生活”を送ろうという人が増えているのだという。
 日本で最近の若者たちを揶揄して「さとり世代」なんて呼んでいるが
(←私は揶揄などせず、逆に彼らのライフスタイルに可能性を感じるが)、スリランカの若者たちこそ、正真正銘の「悟り世代」にあたるのではないか(笑)。

 研修3日目(実質2日目)は、サルボダヤを訪ねた。
 このスリランカ研修を企画した自分としては、このサルボダヤ訪問は目玉のひとつであった。それほどまでに入れ込むのは、自分が「開発援助」というものに興味を持ち出した90年代、少なくともこの分野に携わる者たちにとって、当時はそれなりのインパクトをもってサルボダヤが語られていたと思う。それは、先進国が押し付ける「開発」が一向に功を奏すことがなく、そこへ“途上国発”の開発のあり方として輝いて見えた思想・運動だったからであろう。「依存」ではなく「自立」を促す人間中心の思想には、なにか根本を触れられるようで、大いに可能性が感じられたのである。
 しかし、ここ最近、日本ではあまり聞かなくなっていた。

 「サルボダヤは今はどうなっているのだろう?」

 そこに触れるのが今回の研修の目的のひとつだった。それは、開発のあり方の行く末を見通すことになるとも思ったからだ。

 一教師であったアリヤラトネ氏が、1958年、学生たちを貧しい地域に連れて行き、シュラマダーナ(労働の分かち合い)キャンプを始めたことがサルボダヤの発端である。

 サンスクリット語である“サルボダヤ”はもともと「労働の分かち合いを通した人々の覚醒」という意味で、「
開発、平和、さらには精神的な覚醒(目覚め・気づき)に統合的、ホリスティックにアプローチするユニークな自助組織」Sarvodayaの日本語ページより引用)である。
 つまり、物質と精神のバランスのとれた開発を目指すのがサルボダヤの哲学で、仏教的な価値観をもとに、貧しさも過度の豊かさもない自立した社会を理想としている。

 しかし、今回訪れて、その思想哲学のダイナミズムをあまり感じることはできなかった。Img_8709
 それはひとえに私たちの訪問が限られた時間で、かつ現場を訪れず、本部での説明と一部事業の現場(孤児の支援)を見たにすぎないからだということは重々承知している。事実、重要な会議があるにもかかわらず、我々の到着を待ってくださった国際部門のトップBandula氏は「できれば数週間滞在し、現場にも出向いて見てほしい」と懇願されていた。

 きっとそうなのであろう。それが正しい訪問にちがいない。
 しかし、それでもスリランカにおけるサルボダヤのインパクトが弱まっているのは事実のようなのだ。Bandula氏を引き継いだ若手スタッフの話では、国内でのサルボダヤの事業数も認知も減少しており、予算が減少していることが大きく影響しているとのこと。
 以前は輝きを放っていたサルボダヤの開発哲学に、西欧諸国の援助団体から多額の資金が入ってきた故、西欧的な効率性重視のあり方に変わらざるを得なくなっていった。そういう批判が実は20年前からあった。昨今、陰りがあるという噂も聞く。
 それでも「NGOの役割はまだある」と若手スタッフは力強く答えてくれた。

 たしかに、役割はまだまだある。アリヤラトネ博士の思想哲学も今こそ肝に命ずべきだとも感じる。
 半世紀以上も前に始まったサルボダヤ・シュラマダーナ運動に、もし陰りが見えたというのであれば、それは“浸透”したという結果の表れなのかもしれない。サルボダヤが語ってきたことは、今の開発現場で普通に語られる「サステナビリティ」や「レジリアンス」といった言葉などに置き換えられていっているようにも思う。

 ただ、大きな問題は、概念として浸透しても、やはり具現化は未だされていないということだ。
 サルボダヤが新鮮さを失ったというのであれば、それは当たり前のものになったのだとむしろ歓迎すべきことである。しかし、だからこそ、NGOを見る眼差しは変化している。その変化している眼差しにどう応えていくか、新しい境地に立たされているのだ。

 Bandula氏が向かった“重要な会議”とは、全国から1600人ものサルボダヤのリーダーたちがコロンボに集まって「これからの10年」を喧々囂々するものらしい。どう新しい境地を切り開いていこうとするのか、その会議での決議が気になるところだ。

 サルボダヤの精神は普遍のものとして、21世紀にも根付いていくものなのだろうか。今の若者たちにも引き継がれていくものなのだろうか。
 その答えはもう少し先のことになる。

※下写真はサルボダヤのメディテーションセンター

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2014年8月 4日 (月)

スリランカ訪問記その2〜NGOアプカス(APCAS)訪問

 実質、研修初日の昨日(8/3)、手始めに(お決まりで!?)コロンボ市内観光から。

 街の風景や訪れた寺院から感じるのは、まさにカオス。スリランカ全体でみれば、圧倒的にシンハラ人が多いのだが、ここコロンボに限れば、Img_8664_2 その不均衡は弱まる。仏教徒が多いことには変わりないが、ムスリムもヒンドゥーも相当数見かける。寺院にいたっては、仏教寺にヒンドゥーの神も祀られているなんとこともある。それらを拝むことで“他宗教の神々にも功徳を与える”のだそうだ。そうした行為は、寛容なのか、敬意を払っているのか、はたまた横柄なおせっかいなのか、まるで計りかねるが、そのごちゃ混ぜ感こそがスリランカなのである。
 お堂の中の仏像たちが、ミケランジェロが教会に描いた宗教画のように見えるのは
(右写真)、そのせいなのだと思いたくもなる。

 実は、市内観光の前にAPCASというNGOを訪れた。着いた翌日が日曜日だったため、どこも休みで予定が立てられなかったのだが、快く訪問を受け入れてくれたのがAPCASだったのだ
(ありがたい!)

 APCAS(アプカス)という響きから、それが日本のNGOだとはあまり察しがつかないだろう。それもそのはず
(と言っていいのか)、アプカスというのはアイヌ語で、「歩く」という意味であり、スリランカの人々はじめ国内外の周縁化された人たちと“ともに歩く”という思いが込められている。
 ちなみに、APCASとはAction for Peace, Capability and Sustainabilityの頭文字をとったものでもある。2004年に起きたスマトラ沖地震による大津波の被災者支援を契機に活動が始まり、2008 年1月にNPO法人格を取得している。

 アイヌ語にこだわるのにはワケがある。APCASの事務所は北海道函館市にあるのだ。「あえて東京ではなく、地方からの発信にこだわった」と話してくれたのは、今回の訪問で私どもの対応にあたってくださった
(奇しくも私と同じ)石川直人氏だった。それは、NGOが乱立している東京よりは注目度が高くなるとImg_8649いう戦略的な意味合いに加え、周縁化された人々を取り巻く問題に取り組んでいくというAPCASのポリシーとも合致する。

 私たちが訪れたのは、
視覚障がい者の雇用促進として事業展開しているマッサージサロン「Thusare(トゥサーレ)」である。「トゥサーレ」もアイヌ語からとったもので「癒す」という意味になる。マッサージサロンとしてはうってつけの店名である。
 しかし、こうした事業ひとつとっても異国の地で活動するのは一筋縄にはいかない。石川氏が語るところによれば、そこには「障がい者へのバリア」と「“マッサージ”という言葉のバリア」が横たわっていたという。

 日本では、視覚障がい者の職業として、真っ先にマッサージ師が浮かぶ。それほど当たり前の選択肢として日本では保証されている感があるが
(ただし、最近では無資格の“セラピスト”がいる格安マッサージ店が増えてきて、有資格者の視覚障がい者の雇用がだいぶ侵されているとも聞く)、スリランカではそうではない。障がい者は、社会の構成員として職を担う対象とはなっておらず、手を差し伸べる憐れみの対象として見られている。
 石川氏が訓練後の雇用創出のため、営業に出向き、話をすると、それが障がい者のことだと分かった瞬間からオーナーの表情が曇り始めるらしい。「うちは雰囲気を大事にする店だから」という全く失礼な理由を述べて。
 そもそも障がい者自身も「パウゥ」という言葉をとにかく多用するとも石川氏は嘆いていた。「パウゥ」とはシンハラ語で“かわいそう”という言葉で、とにかく小さな頃から周りからそう言われ続け、憐れまれるのが当然と自分自身で思ってしまっているのだそうだ。

 また、言葉の問題も厄介である。スリランカで“マッサージ”と言えば、それはあらかた性的なものを意味する。
 「マッサージ店を開業するので、物件を探している」と不動産屋に行けば、眉をひそめて断られ続け、100件近くも回って見つけたのが今の物件だとのこと
(それもうまく言い回しを工夫しながら、やっとのこと成約に漕ぎ着け…)
 この物件、少々家賃が高くてもあえて富裕層の多いコロンボ7区にしたのだそうだ。それを家賃が半分になるからと、隣りの区
(日本で言う歌舞伎町のようなところか)で借りてしまうと、結局、“性的”なイメージを払拭するのはかなり難しくなる。「7区にある」ということで、そのイメージからの脱却と店のブランディング、そしてワーカーの自尊感情の回復が図れるとの戦略がある。

 石川氏の話は予定の時間を大幅に過ぎ、ランチタイムにまで食い込んでしまった。それでもなお質疑応答が続いたのは、彼の話に“未来”が見えるからである。話の其処此処にビジョンと戦略がクリアに見える。日本のNGOの助成金頼みな脆弱性に触れ、しきりに「APCASの支援活動のいくつかをソーシャルビジネス化していきたい」と話していた。

 日本にNGOが台頭するようになって
(その時期を70年代後半と仮定すれば)40年近く経ち、今、日本のNGOは岐路に立たされており、向かうべき先を探しもがいているように思う。
 石川氏も同様にもがいているにはちがいないのだが、そこに突破口を開いてくれるのではないかと勝手に期待する。入り交じるカオスのこの国であれば、そんなブレイクスルーが起こる気がするのだ。

 まずは、スリランカでの(実質)1日目が終わり、旅がここから始まる。



【追記】
Img_8652_2  石川氏のお話の後、お試しで参加者何人かがマッサージを受けさせてもらった。さっそく長旅の疲れを癒してもらい、恍惚とした表情を全員がしていたということは、APCASの雇用促進訓練と彼らの腕に間違いナシ!ということですね。

2014年8月 2日 (土)

スリランカ訪問記・その1〜成田空港でおもふ

 今、成田空港の86ゲート前でスリランカ行きの便を待っている。もう1時間ほどで機上の人となる。

 ありがたいことに、毎年この時期、海外研修の引率で日本でないどこかへ“シゴト”で行っている。一昨年はブータンで、昨年はインド・ラダック。どちらもグローバリゼーションの押し寄せる波に抗っているところである。そこに住まう人たちが実際に何を選び、何を良しとしているのか見てこよう、つまり「開発のあり方」を考える研修という位置づけだ。そう書けば大学の教員らしい“シゴト”に聞こえるが、やはり、酷暑の日本を離れ、海外に“退避”するのは「いいなぁ〜」と言われてしまう(特に妻に(笑))。

 成田空港に向かうスカイライナーでぼんやり窓外を眺めていると、微妙な速度で在来線を追い越していった。微妙な速度ゆえに、しばらく並走し、向こうの車両の人たちの様子が明瞭に見える。通勤中と思われる疲弊気味のサラリーマンを眺めれば、卑しいのだが優越感を覚える。

 旅に出る者とシゴトに向かう者は、一方はホッとリラックスし、一方は憂鬱さを滲ませる。日常から離れることで人は癒され、日常に身を置くことで何かがすり減らされていく。

 果たして、これっていいことなのだろうか? 日常を離れなければホッとでいない生き方というのは、なんとも皮肉ではないだろうか。
 旅をすると、いつもこの矛盾にさいなまれる。日常を旅として、旅を日常とすることだってできるのではないか? 非日常だけが「旅」であっては、ドキドキワクワクは旅の特権になってしまう。

 成田空港の広い空を見ていると、この昂揚感をふだんも感じてみたいとも思うのだ。

 さぁ〜て、そんな思索に耽りつつしていると、搭乗時刻がまもなくとなる。今回、旅するこの面々と、どんなことを感じてこられるのか、とにかく楽しみなのである。


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