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2014年8月 2日 (土)

スリランカ訪問記・その1〜成田空港でおもふ

 今、成田空港の86ゲート前でスリランカ行きの便を待っている。もう1時間ほどで機上の人となる。

 ありがたいことに、毎年この時期、海外研修の引率で日本でないどこかへ“シゴト”で行っている。一昨年はブータンで、昨年はインド・ラダック。どちらもグローバリゼーションの押し寄せる波に抗っているところである。そこに住まう人たちが実際に何を選び、何を良しとしているのか見てこよう、つまり「開発のあり方」を考える研修という位置づけだ。そう書けば大学の教員らしい“シゴト”に聞こえるが、やはり、酷暑の日本を離れ、海外に“退避”するのは「いいなぁ〜」と言われてしまう(特に妻に(笑))。

 成田空港に向かうスカイライナーでぼんやり窓外を眺めていると、微妙な速度で在来線を追い越していった。微妙な速度ゆえに、しばらく並走し、向こうの車両の人たちの様子が明瞭に見える。通勤中と思われる疲弊気味のサラリーマンを眺めれば、卑しいのだが優越感を覚える。

 旅に出る者とシゴトに向かう者は、一方はホッとリラックスし、一方は憂鬱さを滲ませる。日常から離れることで人は癒され、日常に身を置くことで何かがすり減らされていく。

 果たして、これっていいことなのだろうか? 日常を離れなければホッとでいない生き方というのは、なんとも皮肉ではないだろうか。
 旅をすると、いつもこの矛盾にさいなまれる。日常を旅として、旅を日常とすることだってできるのではないか? 非日常だけが「旅」であっては、ドキドキワクワクは旅の特権になってしまう。

 成田空港の広い空を見ていると、この昂揚感をふだんも感じてみたいとも思うのだ。

 さぁ〜て、そんな思索に耽りつつしていると、搭乗時刻がまもなくとなる。今回、旅するこの面々と、どんなことを感じてこられるのか、とにかく楽しみなのである。


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コメント

訪問「期」って、そんな時期だしな。

あれは、成田空港じゃなくて、「三里塚人民抑圧空港」とべきだな。

私の勝手な語感では、
「旅」はハラハラドキドキで予測不能。「旅行」はワクワクドキドキで安全確保。
日常は忙しくても安全。旅はヒマなようで危険。日常を旅にも、旅を日常にも、たぶんできずあれは芭蕉翁の錯覚かな。
日常を離れてほっとするのは、たぶん忙しいルーティンから離れた解放感?
でも、旅の本質は「決してほっとさせない」。。。だから旅の途中は疲れを感じさせないほど高揚しているけど、帰宅すると、くたくたに。
それにしても。。。なにもかもが。。。うらやましい。いい旅を。

isaacさん、「記」に直しておきました。搭乗前にアップせねばと焦ってたんですね、きっと。でも結果、「機内整備」とやらで、その後、5時間も待たされたのですが…。
森井さん、コメントありがとうございました。事故なく、無事に、いい旅にしてきます。

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