骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 2014年8月 | トップページ | 2016年9月 »

2016年2月

2016年2月17日 (水)

厳罰化の意味

 川崎市の多摩川河川敷で中学1年の上村遼太さん(当時13歳)が殺害されてから、ほぼ1年が経過した。先週、その判決が横浜地裁で言い渡され、各メディアはこぞってそのニュースを取り上げていた。 Fullsizerender1_3

 昨今ありがちなのは、流行り!?の“報道の中立性”というやつを過剰に意識した報道だ。とりあえず淡々と「事実」を伝え、その上で賛成と反対とおぼしき論点を(街頭インタビューに頼って)並べてたて、「後は視聴者に判断を任せたよ」という責任転嫁な構成だ。そもそも報道に中立性はそぐわないと思っているから(必要なのは各社全体としてのバランスとそれに対するメディア・リテラシー)、そういう編集にはとても違和感を覚えるのであるが、むしろ今回の報道に関しては「量刑が軽いのでは」というニュアンスを滲ませるものもいくつかあった。

 

 私が観たニュースで強調されていたのは、求刑が「懲役10年以上15年以下の不定期刑」だったものが、「懲役9年以上13年以下の不定期刑」とされ、少年法が定める上限(15年)を選択しなかったという点だった。そこでは、犯行が残虐極まりなく、厳罰を科すべきであるのではないかと疑問が呈されているように感じられた。

 そのニュースでは、被告も上村さんも知っているらしき人が報道陣のインタビューに対し、「判決は解せない」旨のことを述べていたし、上村さんの両親が「刑は軽すぎると思います」と代理人弁護士を通じてコメントを公表したことにも触れていた。当然、親であれ、友人であれ、近しく、よく知る者であれば、少しでも重い罪を背負ってほしいとの思いには至るにちがいない。もし、我が子が同じことになれば、間違いなく自分もそうした感情を抑え切れなくなるだろう。
 ただし、社会全体がそうした感情を抱き、「厳罰に処するべき」との風潮が蔓延することには危惧を感じる。

 この場合、厳罰化するということは、刑がたかだか1〜2年上積みされることにすぎない。裁判的には“量”刑と言うだけあって、その1〜2年の長さは大きな意味を持つのかもしれないが、被告が13年の刑では更生することなく、15年であれば更生できるというものでは決してないはずだ。その差が再犯防止につながるとも思えない。それでも「厳罰化せよ」と感情任せに言うような社会であってはいけないのだと思う。
(※ちなみに、清原和博元プロ野球選手の覚醒剤所持事件に関して、犯罪化とは別のアプローチが必要との論もある。〔参照〕「清原和博容疑者の逮捕、茂木健一郎氏が覚醒剤所持について『犯罪化というアプローチが適切か疑問』」http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/02/kiyohara-mogi_n_9144360.html)

 当然、この凄惨な犯行は認められるものではない。しかし、今回の判決が妥当であると言いでもしたら不謹慎だとの“社会的箝口令”が知らず知らずのうちに個々の内面で敷かれていくことは健全とは言えない。

 厳罰を科して断罪することは、「これで終わり。もう自分は関係ないもん!」とそことの関係を断ち切り、被告を見放し、放置していくことに見える。
 裁判長が求刑通りにしなかったのは、「被告が共感性を欠くことや、問題解決力の弱さ、暴力を容認する未熟さは、両親による成育環境が大きな影響を与えている」からだと聞く。そうであるのであれば、処分して終わりと切り離すのではなく、引き続き社会が請け負っていくべき大きな課題であるはずである。

« 2014年8月 | トップページ | 2016年9月 »