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映画・テレビ

2014年2月21日 (金)

ファルージャ〜自己責任論の果てに

 先日、渋谷のアップリンクに行った。ここではゼミ生たちImg_7586_3『100,000年後の安全』を観に行き、最近では『陸軍登戸研究所』を観た。
 今回、映画『ファルージャ』を観に行ったのは、今年度の講義で2度 「自己責任論」を取り上げたからだった
(一度は「開発とNGO」という自分の大学の講義で、もう一度は非常勤講師として聖心女子大学でもった「ボランティア研究概論2」で)

 10年前に起こったイラク人質事件を記憶している学生はもうほとんどいない。ましてや、一般名詞としても聞こえる“自己責任”という言葉が、特別な意味を持って固有名詞的な扱いで使用されたことなど知る由もない。皮肉なことに、10年を経てその言葉は使い古され、本当に一般名詞となっている。「自己責任」という言葉が軽々と巷で飛び交う社会がどれだけ生きづらい社会なのか認知しづらくなっているのだ。
 そうした世知辛さに麻痺している若者たちには、とりわけ、このことについては考えてみてほしいと思ったのだ。

 映画は、当時と今のイラクを映し出しながら、まずイラク人質事件がなんであったのかを懐古する。そういう意味では、映画の半分は
記憶をなぞるもの、つまり私の知っていることだった。2003年のイラク戦争開戦前のデモには私も参加したし、当時、それをテーマにワークショップをプログラムしたことも蘇る。開戦を告げるブッシュ大統領の表情は、何度も素材として活用したので焼き付いている。

 セミナーに来てもらった元TBSアナウンサーの下村健一氏の姿もスクリーンにあった。当時、年齢の割には童顔で若々しかったのが、白髪まじりの初老に見えたのも歳月の経過を思わせた
(今は大学で教鞭をとっているようで、私と違ってその立場が風貌をそうさせたのかもしれないが(笑))
 彼は、映画の中で北海道庁東京事務所の跡地
(今は別の建物になっていた)を訪れる。そこは人質となった今井君らの被害者家族が日本政府に対して「(息子たちを助けるための解放条件となっている)自衛隊をイラクから撤退させてほしい」と懇願した場所だ。その後、「危険も顧みずに行ったのだから自業自得。そのために税金を使うのは無駄だ。政府の方針に口出しするな」と、事務所の日常業務に支障を来すほど膨大なFAXが送りつけられる。その時、下村氏は山積みになったFAXを1枚1枚数えたそうだが、批判的なものは約500通で、応援するものが約800通だったそうだ。肯定的なものが否定的なものを上回っていたという空気は、マスコミからは当時まったく感じられなかった。

 映画後半、人質となった高遠菜穂子さんと今井紀明さんの今の様子がみられる。事件後、対人恐怖症となったと聞いていたので、彼らのしっかりとした声にホッとした。友人でもなんでもないが、その声色に、迷いながらも今の生き方を肯定できていることが感じられ、嬉しかった。「自己責任」と吐き捨てた社会がすべてではないと分かったのは、自分にとっても救いであったのだ。

 高遠さんは今もイラク支援を個人で続けている。国際機関もNGOも行かないようなニッチな活動を自分にできること、そして自分らしさだとして。その矜持がくじけそうになる自分を奮い立たせているようだった。

 今井さんは、自分の境遇を重ねあわせるかのように、「D×P(ディー・ピー)という通信制高校を支援するNPO法人を立ち上げた。彼は、10年前の出来事を口にしながら
(やっと語れるようになったのだろう)、高校生たちとともに現代社会が抱える問題に立ち向かっていた。

 映画は最後、必死に“自分の責任”を模索し、それを果たそうとしている彼らの姿を映し出す。
 一方で、当時、「自己責任論」をぶちまけた小泉元首相をはじめとする政治家先生たちに取材を申し込むが、誰一人として取り次いでくれない“無責任さ”も照らし合わせる。
 その滑稽さをみて、本当に「あれはなんだったのか?」と思わざるを得ない。

 唯一、当時の関係者で取材に応じてくれたのは、柳澤協二氏だった。彼は、小泉政権時代、首相官邸で内閣官房副長官補
(安全保障担当)を務めた人である。言わば“身内”の人である。
 その彼が当時の対応を「日米同盟の維持」が前提だったと自省し、『検証 官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』という本も上梓していた。過去をふりかえり、「思想はなく、アメリカとどううまくやるか」ということを考えていたと言い、「日本は何をしたいのかが見えてこない」と語っていた。それは、昔も今もそうだということなのだろう。

 気がかりなのは、3人いた人質のうち、フリーのジャーナリストだった郡山総一郎氏だけが映画に登場してこなかったことだ。海外を飛び回っており、取材できなかったとのナレーションがあったが、本当に理由はそれだけなのだろうかと訝しがってしまう。ネットで検索しても彼の活動ぶりはあまり見えてこない。

 ジャーナリストと「声」を持てなくなったのであれば、致命的である。
 このドキュメンタリー映画は、高遠さんと今井さんが前を向いて歩いている姿はしっかと描き切ったが、そこに郡山さんの姿は全くなかった。観終わって、隔靴掻痒の感がある。
 ただ、その不完全さこそ、この10年前の自己責任論が未だ決着をみていないということを物語ってもいるのだろう。

【参考】
・毎日新聞(2014年1月26日) 「自己責任」乗り越え イラク人質事件 今井紀明さんの夢
・朝日新聞(2014年2月7日) イラク人質 今井さんの今 バッシングの嵐 話せば伝わる
・朝日デジタル(2013年4月8日) 批判乗り越え、若者支援NPO イラクで人質・今井さん
 http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY201304080043.html
・ハフィントン・ポスト 映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件...そして」 自己責任批判から10年、28歳の伊藤めぐみ監督の視点
http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/12/fallujah-movie_n_4741992.html

2013年8月31日 (土)

映画『陸軍登戸研究所』

 仕事で写真係を任されることがあるのだが、もっとかっこよく撮れないものかとほとほと嫌になる。というのも、以前、写真教室に通っていたことがある分だけ、そうでない人となんら変わらない程度の写真にしかならないことに嫌気が差すのである。もうだいぶ大昔のことなので、「腕が鈍った」ということにしてもいいし、デジカメの登場する前の話でそもそも技術が違うのだということにしてもいい。そんなことは言い訳にもならないことは重々承知だが、いずれにせよ、もろもろの記憶がおぼろげになるほど前の話なのだ。

 その写真教室
の旧知から映画に行かないかと誘いが来た。「楠山さんが映画を作ったみたいだから観に行ってみないか」というのだ。
 楠山さんとは、当時私たちが通っていたPARC(アジア太平洋資料センター)というNPOが開講していた写真教室の講師で、好々爺然という風をしていた。ただ、ジャーナリストとしての厳しい眼差しを覗かせることも時折あり、彼がPARCというところで講師を務める意味がその時分かるのだった。それは自分が青二才なのだと知らしめてくれることでもあった。

 彼が映像を撮るということは聞いてはいたが
(日本映画学校の講師をしていたとも聞いていたし)、映画館で上映するような映画になると聞けば、さすがに足を運んでみようかなとも思った。
 映画のタイトルは『陸軍登戸研究所』。アメリカ本土への風船爆弾を開発したところとして知る人もいると思うが、そればかりでなく、秘密戦・謀略戦の兵器開発基地として殺人光線や毒物・爆薬の研究、生物・化学兵器の開発、偽札製造を進めるところでもあった。近代的な戦争においてなくてはならないものとされていく一方で、実際には“ないもの”ともされていた場所である。

 映画は6年もかけて製作されたということもあり、上映時間180分という大作となっていた。多くの証言者の協力を得て完成に漕ぎ着けたそれは、「編集」という機械的な作業によって削ることを余儀なくされるわけだが、幾星霜を経た証言はそれだけで貴重で、断腸の思いであの作品になったのだと思われる。

 “多くの証言者”とは書いたが、それはあくまで映画に登場する人物の数としては一般的に“多い”というだけで、未だ話せないおびただしい数の人がいるにちがいない。映画は、それを承知の上で、幾ばくかを結晶させたにすぎない。それでも「記録」できたことには大きな意味がある。“未だ話せない人”の中には、墓場までそれを持っていき鬼籍に入ってしまった人のほうが大多数だろうと推測されるからである。

 だからなのか、映画に登場する“話せる人たち”はむしろ屈託がなく、明るさすら感じることが多々あった。特に、研究所で働いていた女性たちや風船爆弾製造に動員された当時の女子学生たちは、結構あっけらかんとしていた。

 「所長の布団を敷きに行ったら、戦時中なのに羽毛布団だった」
とか、「貧血を起こして泊まらされたら、嗅いだこともないいい匂いがしてきた。軍人さんは、日中、あんな怖い顔して私たちを管理しているのに、夜はドンチャン騒いでいるようなら、この国はきっと負けるだろうなと思った」とか、はたまた「恋愛もあったわよ〜」などいう“証言”も飛び出していた。

 その天真爛漫ぶりは、当時15〜6歳だった少女そのものなのかもしれないが、映画に抱いていたイメージとはかなりギャップがあった。
 ただ、だからといって彼女らの証言がウソだとか映画用のものだとか疑うつもりはさらさらない。なぜなら、写真の中の彼女たちは、無垢であどけなく、研究所には「日常」という平穏な空気が流れていなければならなかったからだ。研究所の中にそうした「日常」を作り出しておくことが、彼女らの背面にある塀の向こう側を暗渠としておくことができたのだ。

 映画でキーパーソンとして何度も(名前だけは)登場する伴繁雄氏は、晩年に『陸軍登戸研究所の真実』を上梓した。60歳で再婚した奥さんによれば、その本を書き上げる前と後では、表情がまるで違ったという。出版前、彼は一度も笑ったことはなく、恐ろしくすら感じていた、と笑うようになった写真を差し出しながら言っていた。その「恐ろしく」にはきっといろいろな意味が含まれているのだろう。
 私はその本を読んではいないが、それでも本がすべてではないはずだ。やはり、墓場までもっていったものが結構あるに違いない。彼が幸いにも死ぬ直前に晴れ晴れとできたのは、「言いたいことは言えた」というだけで、彼もまた“話せる人”にはなっておらず、後世に残された我々から見たら“未だ話せない人”というレッテルを貼るべきなのではないだろうか。あくまで独断ではあるが。

 皆さんよろしければ、劇場に足を運んでみてください。(渋谷・ユーロスペースで上映中)

【参考】
朝日新聞夕刊 2013年8月29日「陸軍極秘機関 若者が迫る 『登戸研究所』 偽札・風船爆弾 元所員ら35人証言」
朝日新聞デジタル 8月29日「『陸軍登戸研究所』たどる記録映画 偽札・風船爆弾…
http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201308290033.html

2013年8月 2日 (金)

バカ者は「きっと、うまくいく」と念ず

 久々にインド映画を観に行った。実は、明日からインドに旅立つから、という理由もないわけではないが、沢木耕太郎の文章(下記「参考」参照)を読んで、観たくなったのだ。余談だが、私が彼の文章を好きということもあるのだろうが、彼が朝日新聞に掲載している映画紹介コラム「銀の街から」を読むと、ほぼその映画を観たくなってしまう。
 
 映画『きっと、うまくいく』は、もともと妻と行くつもりだったが、うまく調整がつかず、どうしようかと思っていたところ、ゼミ生が私の“趣味”に付き合ってくれることになった
(ちなみに、男子学生2名)。アクの強いインド映画は、まさに趣味の範疇と言うしかない。
 が、学生たちはそもそも
(私がお勧めする映画なんぞ)期待していなかったようで「結構面白かったっすよ」とそれが意外だったかのように観賞後の感想を語っていた。

 そうなのだ、これは私が知っているインド映画とは少々趣きを違えている。私たちが知っているインド映画は、90年代に一世を風靡した『ムトゥ 踊るマハラジャ』に代表されるように、歌あり、踊りありのとことんエンターテイメント性重視のものだ。ストーリー(脚本)で“語る”ものではなく、ただただ面白さ、楽しさを“見せる(魅せる)”ものなのだ。だから、インドの人たちは映画館で喝采や罵声をスクリーンに浴びさせ、一緒に歌い、踊る。そういう意味で、インドの映画は我々の映画とは一線を画しており、映画館という場だってまるで違う様相で、別の意味合いで成立している。

 たしかに
自分が渋谷で『ムトゥ 踊るマハラジャ』を観た時は、一緒に歌い踊ることさえなかったものの、スクリーンに向かって突っ込みを入れるささやきが其処此処で聞こえ、それを互いに許し合ってる鷹揚さがあり、観賞後は一斉に大きな拍手が巻き起こった。そんな光景を見るのは日本の映画館では初めてで、とても不思議な一体感に包まれたのを覚えている。おそらくその場にいた多くの人がインド映画初体験のはずで、その映画の力に魅了、圧倒されて、場がインド化されたに違いなかった。もう15年も前のことである。

 しかし、『きっとうまくいく』は必ずしもその法則には則っていなかった。だから、私がインド映画に抱く印象とゼミ生がインド映画に抱く印象には、決定的な差がある。彼らにとっては、これがインド映画初体験なのだ。そもそも「
スピルバーグが3回も観た!あのブラピも泣いた!」なんてのが、映画の売り文句になっているのだから、隔世の感がある。ボリウッドがハリウッドを凌駕するなんてことは想像だにしなかった。
 きっとそれはそのままインドや中国などの新興国に抱くイメージの我々世代と学生たちとの桁外れな格差につながっているのだろう。
(事実、最近はインドでもシネコンが増え、昔ながらの映画館は見向きもされなくなっているともいう)

 とはいえ、私自身も映画自体は非常に楽しんだ。3時間弱という長さもそうは感じなかったし、必ずと言っていいほど、鑑賞中、一度は居眠りしてしまうのが、今回はまるでなかった
(これは、映画が面白い面白くないに限らず私にある現象。これを“ビョーキ”と主張しているのだが、だれもそうは認めてくれない)。図らずも3〜4回(ブラピ同様)泣いてもしまったし。劇場がほぼ満席で、ゼミ生たちと隣り合わせの席にならなかったのは幸いした。
 時折、ベタな感じのところもあったのだが、それがまたいいのだろう。ボリウッドらしさがなければ、ボリウッドがハリウッドを凌駕したのではなく、単にグローバリゼーションの波に覆われただけの話なのだ。

 言葉自体が自己矛盾しているのだが、“ベタ”という俗語は「ありきたり」という意味でありながら、それは現実にはあまり起こらないことのほうが多い。好きになったのが目の敵にされている校長の娘だったなんて、映画のストーリーとしてはベタだが、実際にはまずない。

 ただ、この映画の評価すべきは「ベタこそサイコー!」と密かに哲学的に埋め込んでいるところではないかと思う。それは、主人公であるランチョーの生き方、考え方そのものであり、タイトル「きっと、うまくいく」という箴言に表されてもいる。
 換言すれば、“一般社会”というまやかしに埋もれて、“ベタ”という当たり前が当たり前でないほうに追いやられてしまったものを自分たちの中に取り戻そうよ、という映画なのだ。ランチョーはそれをただただシンプルに貫いている。24

 映画は、日本にも通ずる学歴社会への批判をコミカルに描いている。その点で、教育映画と言えなくもない。だから、自分にも重ね合わせて観たのだが、「戦争のない世界を!」「差別のない社会を!」と胡散臭く、青臭くも思われるベタなフレーズを大まじめで実現しようとする教員でありたいと思った。その信念をこの映画は後押ししてくれた。

 映画の原題は"3 idiots"(3バカトリオ)。自分もバカ者だとののしられようと、「きっと、うまくいく」と念じて、学生たちと付き合っていきたいと、観賞直後、改めて誓った。そこに一緒に観たゼミ生たちの「結構面白かったっすよ」という感想が重なってきたのだった。10年後、20年後に彼らと再会した時にそんな言葉をかけられるゼミであればいいと念じている。

〈付記〉
明日からインドのラダックというところへ行ってきます。映画のラストシーンは、そのラダックのあまりに美しいパンゴン湖で撮られていたようです。今回、残念ながらそこは訪れないのですが、昨年のブータン同様、できるだけデイリーでブログを更新したいと思っています。ただ、インターネット環境がこの上なくよくないそうなので、できる範囲で試みますね。


【参考】
◆映画『きっと、うまくいく』 http://bollywood-4.com/kitto.html

◆朝日新聞デジタル 2013年6月6日
 沢木耕太郎『銀の街から』 「きっとうまくいく」友の謎追い 美しき世界へ
 http://www.asahi.com/and_M/interest/theater/TKY201306050289.html

※同じインド映画で『スタンリーのお弁当箱』も気になっている。
 http://stanley-cinema.com/

2012年11月27日 (火)

コッホ先生と「私」の革命

  昨日11月26日は語呂合わせで「いい風呂の日」だった。資生堂の調査によれば「お父さんに隠し事がない」と答えた子の割合、父と一緒に風呂に入ってない子が49%だったのに対し、一緒に入っている子は70%にも達したらしい。また、いつまで子どもは親と一緒に入ってくれるかということに関しては、「小学校6年生まで」との回答が全体の4割を占めた(朝日新聞2012年11月25日生活面 ※出典は、資生堂『パパフロ通信第三弾』と思われる)。「へぇ〜、結構な年まで入ってくれるんだな」と感心してたら、別調査(2000年パナソニック(株)調べ)では、父と娘のパターンだと入浴卒業年齢は9歳になるのだという。「あぁ、やっぱりそうだよな」と妥当だと思いつつガッカリもする。
 私はつねづね飲み会等で「娘とは二十歳になるまで一緒にお風呂に入る!」と豪語している。もちろん、ネタ的なところは多少あるが、結構マジである。そのマジさ加減が微妙に垣間見えるのであろう
。周りでそれを聞かされる人たちは、やれセクハラだ、虐待だ、そして変態だ!と本気で止めにかかる。
 こういう僕は、きっと平均の9歳に至る前にキッパリ「もうお父さんとお風呂に入るのはイヤ!」と言い放たれてしまうのだろう…。

 そうそう語呂合わせと言えば、先週木曜の22日は「いい夫婦の日」。土日に何かと仕事の入る職業なので、講義のない木曜日は、基本“積極的自主休日”としている。カレンダーを見て、何も仕事が入っていないことを改めて確認した妻は、「いい夫婦の日なんだから、久々に“デート”しようよ」と切り出してきた。
 聞かされてはしていたが、子どもが生まれると育児で忙しく、たしかに「恋人」が「夫婦」となって「
家族」となり、二人っきりでゆっくり出かけるというのはまるでできなくなっていた。今こそ(特に一日中子どもにかまっている妻は)リフレッシュ大事なので、彼女の提案にすんなり乗った。ちょうど自主保育の日にあたっていたので、娘も他に預けることができたのだ。

 前の晩から妻は娘に向かって「とっと(私のこと)とかっか(妻のこと)は、明日デートに行くからね」と何度も諭していた。当然、娘は「“デート”ってなに?」といったキョトンとした表情をしていたが、「父と母が私を置いて、なにか楽しいことをしてくるのだろう」と理解はしてくれた“ふう”に見えた。あくまで“ふう”ではあるが、別れ際、泣きもわめきもしなかったので、2歳なりの解釈はしてくれたのだと思う。
 これが物心がつい
たとしても、そして私らがどんなに年をとっても、子どもには「父さんと母さんは今日はデートに出かけるよ」と言える夫婦でありたいと「いい夫婦の日」に思うのであった。

 たかだか3時間程度だが、久々のデートが敢行された。「入間のシネコンで、面白そうなやってるよ」と妻が見つけてくれた映画観に行ったのだった。

 タイトルは『コッホ先生と僕らの革命』

 ドイツにサッカーを伝えたと言われ、後に「ドイツ・サッカーの父」と讃えられる実在の教師の話である。
 規律と服従を美徳としたドイツに、サッカーを介してコッホ先生と生徒たちが“革命”を起こしていく。コッホ先生のフェアプレイ徹底がグランドのみならず教室へ及び、当時の階級社会を切り崩していくのだ。

 ストーリーの展開はありがちなものだったが、それでも素直に感動できた。妻は、育児休暇で久しく教育現場を離れているが、来年度からの復帰に向けていい刺激になったようだし、私もああありたいと思うことができた。特に「授業とは“楽しい”ものだ」というコッホ先生のポリシーにはえらく共感した。

 ただ、
まだそこに至るにはかなりの道のりがあると感じるだから、今接している学生たちには申し訳なさも感じる。昨日の講義も「どうだったのだろう…」と少々気を落として廊下を歩いた。
 せめても、子どもたちへの真摯な眼差しとそこへの可能性を信じるコッホの姿勢
だけは真似たいと思う。

 今日は、来年度から新しくゼミ生となる1年生13名の顔合わせの日だ。希望にわく瞬間でもあり、重責を感じる瞬間でもある。

2012年9月 6日 (木)

大石先生のように

 先週はすっかり家族サービスに費やした。夏はどうしても海外に行くことが多く、家を1週間単位で空けざるをえない。育児をはじめ家事のほとんどを妻に賄ってもらっているのだから、罪滅ぼしの家族旅行に出かけようと前々から計画をしていたのだ。
 でも、家族“サービス”というのはなんともおかしな日本語ではないか。一般的にこの言葉は、罪滅ぼしするはずの夫のほうが妻子に対して、“してあげている”という含みを感じる。日本語の「サービス」にはそんなニュアンスがあるが、むしろ英語としての「奉仕」の意味のほうが採用に値する。
 ただ、ブログでそんなことを書けば書くほど、「家族サービス」という言葉を使う以上に恩着せがましくなる。あえて書き記しておくが、僕はただただ純粋に家族と楽しく旅行に行きたかったまでである(笑)。

 さて、そこで向かったのは小豆島。とくにうちら夫婦にゆかりがある場所でもなく、前々から行きたいと思っていた場所でもないのだが、「日常と違うどこか」ということで、ほぼ「ダーツの旅」のごとく、思いつきでそこにすることにした。なんとなく思いついた小豆島旅行だったが、倉敷に妻の幼なじみがいたこともあり、結果、再会や出会いのある旅となった。

 小豆島と言えば、思い出されるのは壷井栄の『二十四の瞳』。実は、妻も私もちゃんと小説や映画をみたことがなかったのだが、せっかくなので「二十四の瞳映画村」に行ってみようということになった。
 映画のセットが残されたそこは、ただただ懐かしい風景がある。もちろん自分が習った学校の風景よりももっと前の風景なのだが(映画の舞台は戦前)、共感できる空間だ。おそらく日本人が典型的に郷愁を覚える風景にちがいない。

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 旅から戻り、さっそくDVDを借りてきて高峰秀子主演の『二十四の瞳』を妻と観た。映画は昭和29年公開なので、それが上映されていた頃の小学生というのは、まさにうちの母ぐらいの世代である。その頃の小学生たちは(もし映画館に行くことができていたのであれば)『二十四の瞳』をどう観たのであろうか。その時代の教師や教室の風景と映画の中の世界はシンパシーを抱くものだったのであろうか。

 高峰秀子演じる大石先生は、12人の子どもたちを「児童」というよりも、「我が子」のように思いながら接していく。
 事実、実の親よりも彼らに接している時間は教師のほうが多いかもしれない。そう思うと、親同然になるのも頷ける。

 昨日から伊豆大島で私のゼミの合宿が始まった。大学4年間のうちの3年を私のゼミで過ごすのだから、大石先生同様、「我が子」のようなものである。だから、誉めもし、叱りもする。奉公に出されたり、戦地に向かわせることがないだけ、大石先生よりも恵まれているのだろうが、「我が子」を思う気持ちにかわりはない。

 昨今の大学は、学生に対し、手取り足取り、やりすぎではないかと個人的には感じている。学生と教員の関係は“サービス”に成り下がってはいけない。両者が大人である以上、真剣勝負の付き合いを私はしたいと思う。

 まずは、ただただいい合宿になることを願っている。

※合宿の様子をFacebookで時々報告しています。

【おまけ】
 こちらは本当の我が子。まだ小学校入学は先ですが、5年後のイメージを「やらせ」てみました。

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2012年4月15日 (日)

わたくし、ミーハーにつき

 今月初旬に調べ物があって、国会図書館に足を運んだ。小雨が降りしきり、ただでさえ人影の少ない官庁街がなおのこと淋しい。だから、余計に横断歩道の向こうにいる人が目立つ。
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 あれは加藤紘一氏にちがいない。

 勝手なイメージだと、国会議員たるもの、常に秘書が傍らにいるものだと思っているから、一人で青信号になるのを待っているのは、やけに違和感がある。たまたま国会図書館の前にいただけかもしれないのに、その時は「国会議員って一人で調べものをしに行くこともあるんだ」と、メディアから伝わる華やかさとは裏腹に、不憫さを感じてしまった。「あんたは大将なんだから」と慰留される場面ばかりが印象に残る“加藤の乱”以後
(ちなみにあの時、必至に慰留してたのが谷垣現自民党総裁であったのは、今回調べてみて思い出した)、急速に影響力を失い、表情にも精気がなくなってきたように見えるから、そう思ったのかもしれないが。

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 あの時の桜はまだ開花したばかりで物寂しかったが
(上写真は国会図書館前のソメイヨシノ)、今週は満開の桜を愛でることができた。梅や桃もいつもより開花が遅れたせいで、今年はそれらを同時期に見ることもできた。(下写真は、今日家族で見に行った青梅市の安楽寺の桜と桃)

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 さて、この時期は番組改編期でもある。ちょうど2年前のこの時期、深夜に再放送されていた『ハーバード白熱教室』を見てハマっていったのだが、まさかあそこまでのサンデルブームになるとは思っていなかった。「俺はブームになる前から目を付けてたんだぜ!」と嫌らしく言うつもりはさらさらないが、それでも内心、なぜか優越感を抱いていた。完全なる自己満足だが。

 で、今年、また「流行るのでは?」と目を付けた番組がある。NHK Eテレで月曜11:00〜11:25(再放送は毎週日曜深夜0:45〜1:10)に放送の『スーパープレゼンテーション』がそうだ。やはり
「俺はブームになる前から目を付けてたんだぜ!」と言うつもりはさらさらないが、自己満足の優越感には浸りたいので、本当に流行ってほしいと思い、こうしてブログを書いている(笑)。

 この『スーパープレゼンテーション』は、TEDカンファレンスでの秀逸なプレゼンを紹介する番組
(番組としては語学番組としての様相もあり)奇遇にも私が『ハーバード白熱教室』を紹介したブログ(2010年4月25日「サンデル教授の白熱講義」の冒頭で、そのTEDに触れていた(俺は2年前から目を付けてたんだぜ)

 ちなみに、初回はスウェーデンのハンス・ロスリング。新しい統計表現のソフトウェア開発で聴衆を魅了する。
 以前にも誰かからのメールで「面白いYouTubeがある」と紹介され見たものがあったが、それがハンス・ロスリング氏で、TEDでの別のプレゼン
(日本語版は「Hans Roslingの先入観に関する話」だった。彼が開発した統計ソフトで分かりやすく「先進国=小さな家族で長寿、途上国=大きな家族で短命」という認識が現在は大間違いであることを示されると、ああいう展開でプレゼンをすれば惹き付けられるよなぁと感じたことを思い出した。

 今回は、その得意のソフトウェアだけでなく、前半はアナログな方法でプレゼンを始めていった。その様は、まるで池上彰のようで、これもまた惹き付けられる。
 明日の講義でさっそく活かしたいが、そう一朝一夕にはいかないだろう。予約録画は完璧なので、時折、チェックし、全回見逃さないようにしたい。

 これは私だけのものにしておくのはとてももったいないから、皆さんにも毎回チェックされることをお勧めしたい。まずは明晩必ずチェックですよ〜。そうすれば、きっとこの番組も流行るに違いないはず。言いたくはないですが、半年後ぐらいにはきっと「俺はブームになる前から…」、いえいえこれぐらいにしておきましょうね(笑)。


2011年10月19日 (水)

何の気なしにNHK

 一昨日放送された二つのNHKの番組について触れたい。

 ひとつは『プロフェッショナル 仕事の流儀』
 茂木健一郎氏が司会をしていた時は結構な頻度で観ていたが、最近はまるっきり観ていなかった。それがたまたま目にした番組宣伝からの「白血病患者と闘う医師の物語」というフレーズが耳に入り、何の気なしに予告通りの時間にチャンネルをあわせていた。
 取り上げられていたのは、血液内科医の谷口修一氏
(第162回「『生きたい』その願いのために」2011年10月17日放送)。「内科」は一般の人にとって最も馴染みのある科になるだろうが、「血液内科」となると途端に「聞いたことがない、見たことがない」ものになるのではないだろうか。少なくとも「○○血液内科医院」といった町医者の看板にお目にかかることはまずないだろう。

 私はその血液内科というところに18歳の時から病気が完治するまで通い続けた(おおよそ12〜3年間ほどになろうか)。大学入学のため、上京してからは虎ノ門病院で診察を受け、骨髄移植もそこで受けた。最上階である13階が血液内科の病棟で、退院してから10年以上も経つが、なんとも言えない独特の匂いや空気感をいまだに思い出すことができる。半年以上も入院していたのだから(しかも他にも何度か入院をしていたし)、当然と言えば当然なのかもしれない。

 番組を見始めると、フラッシュバックのように記憶がよみがえってくる。否、それはフラッシュバックではなく、そのものだった。画面に映る待合室のようなスペースは、13階のエレベーター脇に位置していたものだったし、谷口医師が地下鉄の駅を降りて通勤する背景にあったのは、私が何度も通い詰めた病院までの景色だった。
 谷口医師は私が退院後に赴任した先生なので、面識は全くないが、虎ノ門病院血液内科の今の部長であった。

 番組では二人の患者が取り上げられていた。ひとりは、妻と「
定年後はゆっくり過ごそう」と誓い合っていた初老の男性。もうひとりは、中学生の娘をもつ50代の女性。こういった番組にありがちな成功例にはならず、二人とも快復せず、無情にも息を引き取ったとのナレーションが入る。
 初老の男性は、定年を迎えた矢先に白血病と宣告された。誓いを叶えたいと“名医”を訪ねて、希望を何とか繋ごうとする。「高齢で移植はリスクが高い」と言われるものの、「少ない可能性でもそこに賭けたい」と言う一縷の望みは、横にいる妻へ「僕は嘘つきじゃないから」と言ってもいるようでやるせなくなった。
 やっと入院にこぎつけ、希望を持って病室に入るその初老の男性は、窓越しに「印刷局の人たちは、昼休みになるとみんな走るんですよ。私もあんなふうになりたいなぁって羨ましく思うんです」とも言っていた。10年以上も前、私もまったく同じ風景を見ている。「俺もあんなふうに好きなだけ走れたらなぁ」と彼と同じ感情で。もしかしたら、部屋まで一緒だったかもしれない。

 今、好きなだけ走れている自分とそれが叶わなかった初老の男性。その境界線はどんな基準で私たちの間に引かれたのだろうか? ただの偶然で、それが運命というものなのかもしれないが、生かされた側からも単に「ラッキーだった」とは思えないむごさを覚える。

 もうひとつ観たのは『クローズアップ現代』で、「“自給力”〜食とエネルギーを自給する暮らしの可能性〜」
 というタイトルの回(番組HPでは、放送の半分ほどが動画でチェックできる上、内容がまるごとテキストで記載されています)正確には録画していたので、観たのは昨日だが、観ながら(時折DVDを止めつつ)妻と生き方の話になった。「とにかく夜10時や12時に帰宅するような生活・社会・会社は絶対におかしい!」「じゃ、どうすりゃ、それが変わるんだ? 口だけじゃなく行動に移さないと意味ないし…」ってな具合に。

 妻の主張は、311後に原発事故のあおりで計画停電が実施され、企業はやむなく定時退社を勧めたり、柔軟な勤務体系で対応したりしたが、どうにかなっていたので「やればできるじゃん!」というもの。しかも、みんながそれで家族円満になったとインタビューで答えているもんだから、「なおのこと、そうすればいいのに」と主張を補強する。
 番組で取り上げられていた埼玉・小川町の有機農家・金子美登氏
(この手のテーマではかなりの率で取り上げられる)が、今の方針を決意するのはオイルショックがきっかけだったという。それは、今、私たちが311を経験し、社会をパラダイムシフトさせたいと強く願うのと重なってくる。だから、311のインパクトは、ポジティブへと向かう反作用を期待していいのだとも考えられる。

 それでも、私たち夫婦もだし、多くの一般人もこれではいけないと思いつつ、何かしらのアクションを起こすには至っていない。それは十分なアクションを起こすための十分な対話の時間を確保することができていないからなのだと思う。

 日常に振り回され、十分にアイデアを出し合えるほど余裕がなく、費やすべきところに時間に費やされない。自分の仕事について語るのと同じほどに、家庭や地域のことを語れる時間が確保されれば、社会は別のものになってくるのだと思う。些細な違いのようだが、結果は恐ろしいほど違ってくる。
 まるで誰かが、人間的な幸せの在り方について語り合わせようとはせず、お金や経済のことにだけに関心を持つように仕向けているようだ。

 なぜ、そんなことをするのかがまるで理解できないが、もしかすると境界線を引いたあの人の仕業なのかもしれない、と思いたくもなってくる。

2011年6月14日 (火)

異端の存在意義

 またまたいくつか書きたいことが溜まっているのだが、今週末に控えた学会がそれを許してくれない。自分が所属している中ではもっとも長い学会で、つまり一番大事にしている学会である。原則、ここでは毎年研究発表することを自分に課している。ただ、課してはいるが、いつも納得いくほど充分に時間をかけられず、なんとか発表の体裁を整える(=帳尻を合わせる)のが関の山だ。これを“研究”と言っていいのか、甚だ疑問である。そもそも今年の研究発表のタイトルは、「『ハーバード白熱教室』は国際理解教育で有効か?」という学会の権威、品位にそぐわないミーハーなもので、「お前は学会をなめているのか!」と怒りを買うのは必至である。脱会勧告を受けるのは半ば覚悟して、今週末、京都に乗り込んでいく。

 それでも、五輪よろしく学会も「参加することに意義がある」のだと思いたい。私のような異端がいてこそ、社会や集団は健全さを保つものなのだ。

 こんな話をすると、よくパレートの法則が取り上げられる。“80:20の法則”や“バラツキの法則”などとも言われたりするが、「売り上げの8割は、2割の社員によって生み出されている」とかいうあれである。ときどきミツバチやアリの生態が例に挙げられ、「蜂の巣の中の社会にはまったく働かない“怠け者バチ”が必ず2割程度いるが、その2割を排除しても、やはり新たに働かない2割の“怠け者バチ”が出てくる」(その逆に“怠け者バチ”だけにすると、きちんと勤勉な働きバチが出現してくる)などと言われることがあるが、どうもそれは俗説らしい。

 それでも、「お利口個体」だけではなく、「バカ個体」を一定割合存在させたほうが、餌場の採取効率が上がることは実験によって立証されている。「お利口個体」は勤勉に同じルートを通って(一見)効率よく作業をし続けるのだが、「バカ個体」は回り道をショートカットしたり、新しい餌場の探索者として機能したりするのだそうだ。つまり、非効率に見える行動が混在するほうが、全体の効率が上がることが示されている
(参照:日本動物行動学会NEWS LETTER No.43 pp.22-23
 そう思えば、学会において異端(=バカ個体)の自分がいつか歴史に残る大論文を発表すると言えなくもない。あくまで可能性のお話だが…。

 さて、先日、妻が『1/4の奇跡〜本当のことだから』というドキュメンタリー映画を観てきた。私は仕事で都合がつかず、一緒に行くことはできなかったのだが、夕飯時に感想を聞くと、とても興味深い映画だったという。(以下は妻からの話、つまり観賞後の記憶に基づいているので、若干、正確さを欠くものになっているかもしれないことはご容赦願いたい)

 インカ帝国の栄えた古代ペルーでは、例えば6本指を持った、いわゆる“奇形”の人間の絵がいくつか残っている。それはそうした人たちが、決して社会から排除されていたわけではなく、どうも崇められていたことの証しだと考えられている。ネガティブな意味で特別視されていたということではなく、非常に不思議な力を持っていた者としてそう見られていたのである。
 インカ帝国では、
現代科学で解明できないことが行われていたようだが、そうした偉業は、彼らの不思議な力が寄与していたと思えなくもないのだそうだ。
 今は、障害者を“一般”に近づけようという社会的作用が生じるが、太古の昔は、“一般”が障害者に近づきたいとの文化が醸成していたのである。

 また、昔、アフリカで人類が滅亡してしまうのではないかというほど、マラリアが大発生した時のエピソードも示唆に富んでいる。
 そのマラリアの大流行において、人類が滅亡してしまうのではというほどの不安が広まるが、結果、杞憂に終わる(そりゃそうだ、今、自分たちがここにいるのだから)。どんなにマラリアが広まっても、絶対にマラリアに罹らない人たちが一定数いたからだ。調べていくとマラリアに罹らない人たちの赤血球は、通常のドーナツ型ではなく、鎌形をした鎌状赤血球が含まれていることが判明した。

 人類は、その正常なドーナツ型と鎌状と二つの組み合わせで構成されている。それぞれ、正常と正常、鎌状と正常、正常と鎌状、そして鎌状と鎌状の人間が1/4の割合で存在しているのだそうだ。鎌状と鎌状の組み合わせの人は障害を持っていて、特殊な貧血症に罹ってしまう。しかし、同じ鎌状の赤血球があっても正常と鎌状の組み合わせの2/4の人たちにはその病状は出てこない。
 そうなると、マラリアに罹った正常赤血球だけを持った人はなくなってしまい、残った3/4の人のうち、
正常赤血球をもった人たち2/4だけが生き延びていく。ここで押さえておきたいのは、実際にその後の人類を増やしていくのは、その2/4の人たちなのだが、それは1/4の鎌状赤血球を保持していた障害を持った人たちの存在があってこそ、成り立つことなのだ。(おそらくこれが映画タイトルのモチーフになっている)

 このエピソードを聞いて、自分が骨髄異形成症候群(不応性貧血)を患ってい
時のことを思い出した。主治医から自分の難病について噛み砕いて言われた説明は、「骨髄は、いわば血液生産工場で、石川君のその工場は、血液という製品を一途に作っているんだけど、形態の違う不良品ばかりを一生懸命作ってる、そんな状況なんだよ」というものだった。
 今、こうして生命を長らえ、娘へとそれをつなげられた不思議をありがたく思う。

 人間であろうが、植物であろうが、“今ある”ものにはそれぞれ意味がある。自分にとって、「面倒くさいから」とか「うざったいから」という理由で消してしまっていいものはない。そう否定すること、消してしまうことは、自分を否定し、自分を消してしまうことと直結する。
 “いなくていい/なくていい”と思われていても、それは“ある(存在する)“という時点で、
集団やシステムにおける存在意義を保持する。棄民や雑草と言われるものは、この世には存在しないはずなのだ。

2011年5月23日 (月)

変化はそこにある

 土曜日、仕事前に家族3人で映画を観に行った。昨年11月、妻とどうしても観ておきたいと観に行った『うまれる』以来である。当時、まだ生後2ヶ月の娘を親の都合で外に連れ出すのは躊躇われたが、後悔はさせない内容だった。
 今回、観に行ったのは、東久留米市で行われた『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会。時宜を得たテーマだけに、会場は満杯(話によると午後の部もほぼ満席だったそうだ)。その期待に応えるように、こちらも後悔させない映画だった。
 ちなみに、我が子は比較的穏やかに観ていた!?と思う。主催者へ事前に赤ちゃん連れであることを伝え、了解を得ており、万一泣きわめいた場合のために非常口に最も近い席を確保していただいていた。『うまれる』でも「ママさんタイム」というのを設け、赤ちゃん連れでの鑑賞をOKにしているが、こうした点でのバリアフリーは大切で、社会をデザインする上で、必要な配慮だと思う。

 さて、観賞後の感想であるが、端的に言うと「変えられそう!」というポジティブな期待感が湧いてきた、といったところだろうか。

 映画のパンフレット冒頭で、鎌仲監督は映画のタイトルに込めた意味について触れている。

ミツバチの羽音はどんなに小さくても、地球の回転にすら影響を与えているかもしれない。そう、小さな命のざわめき、命のエネルギーにこそ希望の種はまかれている。

 「バタフライ効果」に重なるようなこの言葉に、市民活動や草の根の動きなどひとりひとりの意識の変化を期待し、そこに監督が思いを託したのだろうか。
 これまで、「ひとりひとりが変わらなくては、社会は変わらない」「いつも変化はたったひとりの人から始まる」といったモノ言いに、どこか斜に構え、時に胡散臭さすら感じていたようにも思う。きっと、自分もそんなまとめ方を講義やワークショップで何度かしたことがあるはずなのにだ。

 自分に限らず、多くの人が
その言葉にあまり現実味を感じていないだろう。自分のとった小さな行動は、目に見える成功体験としてなかなか成就されていかないからだ。「社会が変わる」というゴールはあまりにも遠くに見えて、それはいつしか「どうせ…」に変わっていく。知らぬ間に何者かが変化を遮っている。

 しかし、この映画は違う。ここに映るスウェーデンの人たちを見ていると、社会を住み良くしていくことは、いとも簡単なことのように思えてくる。

 「自然エネルギーの電気を供給する電力会社から電気を買えばいいさ」

 「日本では買えません」

 「ウソだろ? たった一つの電力会社からしか買えないわけじゃないだろ?」

 「独占している会社からしか買えません」

 「そんな、バカな。変えなきゃダメだ…」

 インタビューに応じたスウェーデン人の呆れた顔を見て、会場は苦笑するしかなかった。お互いの“当たり前”が真逆にある場合、それは滑稽にしか映らない。

 スウェーデンにはエコマーク認証があり、どんな電力かを選択できる自由がある(映画に出てくる人たちは“汚いエネルギー”と“緑のエネルギー”と区別して称していた)。国内シェア第5位の電力会社は「省エネ」を商品として売り上げを伸ばしている。電力を得るべき企業が、堂々と省エネを推進しているのだ。
 また、環境裁判所という第三者機関があり、そこで承認されなければ、環境に負荷の大きい開発は許されない。

 私たちには斬新に映るこれらは、スウェーデンの当たり前にすぎない。かたや、日本の祝島
(映画の主な舞台となっている瀬戸内海に浮かぶ小さな島。島の真正面の湾に建設予定の上関原発に28年間反対運動を続けている)の人たちは、そうした“当たり前”へ必死に手を伸ばそうとしているのだが、それがどうしても届いていかない。スクリーンから溢れる島の人たちのあれだけのエネルギーをもってしても、悉く拒まれ、成就されることはないのだ。
 鑑賞している私たちは、スクリーンをみつめ、この上ないもどかしさばかりを覚えていく。それこそが、手を伸ばしている祝島の人たちと“当たり前”を遮っているものだと気づくことなく…。

 この映画には「皮肉」と「奇跡」がある。

 これが公開されたのは昨年2010年のこと。その後、「311」が起き、世の中のさまざまなものをパラダイムシフトさせた。映画の中で島の住民とあい対する中国電力の言葉は、真逆となった今においてまったくもって正当性を失っていた。ハンドマイクから流れる「安全性」と「経済活性化」を謳う姿
は、同情したくなるほど惨めな道化師のようで、会場では嘲笑を買っていた。

 映画の中では、淡い光明のように映る「祝島の役割は、(原発建設を)一日でも先延ばしにして、そのうちに社会情勢が変わってくれることを…」という住民の言葉が、予兆していたかのように現実になろうとしている。
 山口県の二井知事は19日、上関原発建設予定地の水面埋め立て免許の失効を示唆するコメントを発表した(参考:日本経済新聞Web刊5月20日「上関原発、埋め立て免許失効も 山口県知事、6月議会で方針」)
この報道を祝島の人たちはどんな思いで聞いただろうか。

 1000年に一度と言われる大震災があって初めてCHANGEが可能となる日本。本当は、そんなことがなくてもCHANGEは可能なはずだと思いたい。不幸を踏み台にして幸福を築き上げていくとは(歴史はそれを繰り返してきたという一面を否定しえないが)、なんとも理不尽ではないか。

 「ひとりひとりが変わらなくては、社会は変わらない」
 「いつも変化はたったひとりの人から始まる」

 改めてその言葉を噛みしめると、その正当性を自分で証明してみたいと思っている。今はそんな希望が湧き始めた。
 まずは自分の住む町にアクションを起こしていこうかと思う。トランジションタウンとしていくのはどうだろうか。斜に構えてこのブログを読まれないように、あえてこの場でそんな宣言をしておきたい。

追記
・私の地元飯能市では7月16日(土)に『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会が開催される(飯能市民会館小ホール)。妻も上映実行委員会にサブ的に関わっている。
・昨年11月に映画『うまれる』を観た後、これを飯能で上映したいと妻と二人で自主上映会をしようと思い立った。両親学級(市の保健センンターが主催した出産前の夫婦のための連続講座)で出会った仲間に声をかけ、地域の人たちを巻き込みながら、着々と準備を進めている(飯能市市民会館小ホールで9月11日開催)。
・来週31日に映画『100000年後の安全』をゼミ生たちと立川へ観に行く予定。後日、ブログで報告します!

2011年2月23日 (水)

森聞き

 先週、『森聞き』という映画の試写会に行ってきた。最近、共存の森ネットワークというNPO法人へ転職した知人が、「ぜひ観てほしい」と招待券を送ってくれたのである。

 共存の森ネットワークでは、10年ほど前より「森の“聞き書き甲子園”」を主催している(他に、林野庁、文部科学省、社団法人国土緑化推進機構が主催団体となっている)。毎年、全国から100人の高校生が選ばれ、森の名手・名人を訪ね、一対一で聞き書きをしてくる取り組みが「森の“聞き書き甲子園」である。森を育て、森とともに生きてきた伝統的な暮らしの中にひそむ智恵や技、そして彼らの生き方そのものが埋もれてしまわないよう、高校生に聞き書きをさせている。
 その高校生たちの姿を追ったドキュメンタリーが、この『森聞き』なのだ。

 映画には4人の高校生が登場する。4人とも見ていてまさに“今時の高校生”なのだが、それぞれが違う“今時”の光を放っている。それは若者に宛てがわれがちな「軽さ」などという言い回しではなく、彼らなりに“今を必死に生きている”という意味合いでだ。
 映画の冒頭では、「なにか今、世界が変わる時期に来ている気がする…」と鋭敏なことを口にした高校生がいたが、自分が18の時を思うと、それほどの嗅覚を社会に向けていたかと言えば、甚だ自信がない。彼女は母親から「今は受験を優先して、森に行くよりブランド校に行ってほしい」と懇願されるが、それには苦笑いするだけで、結局、足は森へ向かう。田舎育ちの私の色眼鏡でもあるが、都会育ちの彼女が有名校への進学だけを是とする親を振り切り、自然へと興味を向ける姿には快哉を叫ぶ思いで、頼もしく見える。

 しかし、それをも圧倒するのが森の名人たちである。森の空間において、彼らは哲人である。発せられる言葉もそうだが、立ち居振る舞いがそう思わせてしまう。
 登場する森の名人たちは皆が高齢で「引退」がもうすぐそこに迫っている(日本の林業の現状を物語ってもいる)。そうした哲人たちと無垢な高校生の鮮明なコントラストは、映像としても美しい。そのバランスの悪さが、双方になんとか言葉を紡がせて、そうした言葉のひとつひとつが珠玉となっていく。

 『森聞き』を観た翌日、たまたま『ソーシャル・ネットワーク』を観ることになった。マーク・ザッカーバーグの頭の中の回転が、そのまま現代社会の回転の速さとなっているのだと感じる。Facebookで紡がれる言葉たちも素敵だが、そこへ偏りがちになっていくことを憂いてしまう。高校生だけでなく、自分たちも。
 言葉の多様性は、何も言語や方言の多さといったものだけではなく、言葉として内面から紡ぎ出されるまでの時間の多寡にもよるのだろう。そうした時間を時折取り戻してみなくてはなるまい。そうしたバランスを取り戻すことで、身体も、社会も、文化も健全さを失わないでいられるのだと思う。ましてや森はそうした土壌の上にこそ、青々と木々を育んでいけるのだと思う。

※監督は『ひめゆり』の柴田昌平監督。試写会後の話では、全国の高校に「森の“聞き書き甲子園」ポスターを送るなどして宣伝しているが、あまり反応がよくないとのこと。高校の教員をやられている方々、来年度は是非高校生を森へ送りましょ♪

※映画のバックに流れるラヤトン(Rajaton フィンランドの人気アカペラ・ボーカルグループ)の曲すべてが非常に素晴らしい! 私は試写会後、すぐさま購入。最近はヘビーローテーションで聴いています。
このCDは日本向けに特別に組まれたもので、お得感もあり(笑)。しかもCDジャケットが絵本になっていて、ページをめくるたびに全曲の歌詞が絵とマッチしていて、見てて楽しい。

※3月5日よりポレポレ東中野でロードショー。その後、名古屋、大阪でもロードショーになるようですが、全国の皆さんに観てもらう、、、というのはアクセスの点で難しそうですね。

Morikiki_2

 

【参考】