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経済・政治・国際

2011年3月 7日 (月)

菅さんへ「マスコミ対応、進言します」

 前原外相が辞任した。たしかNHKスペシャルを観ている時だったか、昨日、その速報ニュースが流れた。大臣の辞任など今の日本において日常茶飯事だから、ということもあるが、「速報ニュース」とのテロップが突如画面に現れた時のドキドキ感に比して、その緊急度、重要度はアベレージ以下だった。
 そもそも多くの日本人は「外国人が政治献金してはいけないんだ」なんてことすら知っていないのだから、それが“事件”であるとの認識は今回をもってしたにすぎない。紛れもなく私もその一人である。最初にこのニュースを聞いた時、「へぇ〜、そうなんだ」と頭を振り、それを“罪”としてインプットし、脳みそを更新しておいた。

 この世にある多くのルール(法律)を私たちは知らない。全国民がパーフェクトに六法全書を諳んじられたら、末恐ろしいし、弁護士の数は今ほどいらなくなる(それはそれでいいか(笑))。それに、法を理解していることと遵守できることは別である。もちろん知っていればいるうほど、遵守できる確率は増すだろうが、社会的に意味も持つほどの上昇率にはならないだろう。しかし、知らないことを理由に免罪にされるわけではない。政治家の事務所であれば、なおのこと、「自覚が足りない!」「甘い!」ということになる。

 昨日の新聞を見れば、こう書いてある(朝日新聞2011年3月6日 朝刊2面「時々刻々」)。
 
 「政治資金規正法は、日本の政治や選挙への外国の関与や影響を未然に防ぐため外国人の政治献金を禁じている。」

※まだ解説は続くが、最近、娘は新聞が舐めるのが好きで、ちょうどその部分が解読不能になっていた…。

 さらにこの解説の下には、献金をした張本人のコメントが載っている。それを読むと、政治献金をしたのは、前原氏を中学2年の時から知る京都市内の「在日」の女性で、「(前原氏の父が亡くなり)当時から貧乏で苦労していた。議員になってからも慕ってくれたし、ずっと息子のように思っていた」ぐらいの親密さがある人からのものだったようだ。文面のテイストから想像すれば、「誠ちゃん(と呼ばれていたかどうかは不明)、アメちゃん、いらんかぁ〜」と気さくに声をかけてくる近所のおばちゃんのような人だったのかもしれない。

 政治献金されたその女性は日本名の通名を使用して献金したそうだから、外国人だとその場で確認はしづらかっただろう。とはいえ、近しい人であったのであれば、なおさら今回の事務所の対応はそしりを免れ得ない。ルールを把握しきれない市民に対して、事務所サイドがそのルールをしっかり説明し、未然に防がなければならなかった。きっと週刊誌は「北朝鮮外交に利用」とその女性を書き立てるだろうが(きっとそうではないと思うが)、政治家であればあらゆる“あらぬ噂”がたつ疑いをかき消しておかなくてはいけまい。
 しかし、一般市民の感覚では「まぁ、それぐらい許してやれよ」という程度のことではないだろうか。野党は一点突破でダムの決壊をもくろむだろうが、政治資金規正法の本筋は、企業絡みのもっとまとまったお金のやりとりのはずだ。人情味あふれる庶民の味方であった大岡越前であれば、きっと無罪放免としたにちがいない。
(今朝の新聞でも彼女のことが取り上げられており、前原氏本人から「辞めます」との電話を受けたようだ。焼き肉屋で仕事中であった彼女は、電話を切った後、「私のせいで辞めなあかん」と手にしたふきんで涙を拭った、とある。)

 こうした私の論調は、この記事の浪花節的な要素にかなり左右されている(ように見られるだろう)。メディア・リテラシーもへったくれもない。法治国家において、情に流され判決が下されるのであれば、秩序は保たれない。
 それは重々承知の上で、菅首相に進言したい。きっとこの件でマスコミ各社からマイクを向けられ、コメントを求められるはずだが、いつものように悲愴な面持ちで話さないでほしい。
最近の歴々の首相は、就任した途端にどんどん表情がなくなっていくが、そろそろあの対応をどうにかしてほしい

 菅さん、マイクを向けられたなら、柔らかな表情で、こう話すのです。(決してニタニタではなくね)

 「献金をした女性は前原君が貧しかった頃からの旧知の仲だったそうじゃない。いまだにその頃のイメージなんでしょう。きっと親心でお年玉をあげるぐらいの気持ちだったんでしょうね。まさか自分の善意が罪になるとは思わなかったんじゃないかな。うちのばあさんだっていまだに私にお年玉くれますよぉ。小学生の時と同じ、たった500円ですけどね。あれも政治献金だわな。あはは。あ、鳩山家ならそのお年玉は9億円ってわけだ。がはは。ま、今回の一件は、大岡越前守であれば、無罪放免ですな。(ここでキリッと表情を変え)ただ、ここは法治国家。たとえ20万円のしがらみのない献金だったとしても法に触れたのは紛れもない事実。ましてや前原君は政治家であり、現職の大臣だ。だから、潔くその職を辞して、責任を取った。それでいいじゃない。あとは俺に任せといてよ(と胸をポンと叩いて、ニコッと決める!)

 そんなコメントがテレビで流れれば、よけいに集中砲火を浴びることは目に見えている。それでもたまには人情味溢れる首相のコメントを聞いてみたいものだ。それほど今の政治には心がなく、殺伐としている。市民は、政治にだって安堵や温かさも求めているのだと思う。
 私たちは、生気のない政治家たちと未来を見ようとは決して思わない。

2010年5月 2日 (日)

「ギロチン」の想い

 正直、民主党にはがっかりだ。見事なまでの昨夏の政権交代は、希望に満ちたエポックメーキングになると思わせるには十分で、無性に高揚感が感じられた。おそらくそれは私だけではないはずだ。ただ、今は過度な期待であったと結論づけなければならないほど鳩山政権は瀕死の状態である。
 結局、自民党も民主党も一緒だったのだ。それはどちらも“政治屋”であった、という意味においてである。

 政権交代直後の八ッ場ダムをめぐる動きでは、まだ自民党の「負の遺産」を引き継いだゆえの懸命なもがきのように思えていたが、これまで民主党の為すことのほとんどが迷走してしまっている状況では、肯定的に捉えることができなくなっている。なぜ“政治屋”の皆さんは、滑稽にすら思えるほど同じことを繰り返すのだろうか。それが不思議でならないが、ビジョンなきままの彼らの行動様式が必然的にそうさせるのだと思っている。
 先日、報道のあった諫早湾の一件でもそうであった。

 「ギロチン」のようだとそしられた諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の閉め切りからすでに13年が経っている。当事者でないと、無責任にもニュースを聞いて初めて「ほぉ、もうそんなに経ったんだ」と気づかされるが、地元の人たちからしてみれば、辛酸を嘗めるとてつもなく長い時間だったに違いない。それは、干拓事業の恩恵を受ける側であっても被害を被る側であってもである。だから、13年ぶりに開門されるとの動きをめぐって、地元で再び波風が立ち始めているのである。

 この件に関して先月下旬からにわかに報道が喧しくなってきた。それら報道をみると、赤松農水相(あるいは民主党)の“政治屋”としてのビジョンはみえるものの、問題に対しての根本的解決に向けたビジョンは見えてこない。つまり、夏の参院選を見越してはいるものの、その後の地元民の暮らしを心底考えているとはとうてい思えない。開門に反対する農家に対して、塩害対策や被害補償を検討するとも言っているが、単に急場凌ぎではないか。経済的な補償はたしかに必要だが、その視座だけで解決しようなどと思わないでほしい。そもそも「生物多様性」の視点が赤松農水相からもマスコミからもほとんど見られないのが、個人的には解せない。「ギロチン」を講じたヒトの仕業はもう小手先ではどうにもならないほど問題をこじれさせている。大局に立ったビジョンを示さない限り、人を納得させ、動かすことはできないだろう。

 「参院選まで」という極めて短いスパンではなく、大局的に臨める政治家を私は見たい。ならば、選挙だけに突き動かされる政治家に翻弄されない、大局的な見地に立つ市民も必要だ。
 今後、赤松農水相が潮受け堤防の排水門開門を正式に発表するのであれば、それが参院選へ向けたパフォーマンスであるかどうかを見極めなければならない。大型公共事業を止められなくなったがための13年前のあのパフォーマンスは、問題を何も解決しなかった。開門することが「ギロチン」と同様でないことを願いたい。

【参考】
◆2010年4月27日朝日新聞夕刊「農水相 参院選を視野 開門に反対の訴訟と矛盾」
◆asahi.com「諫早、長期開門へ 農水省・与党検討委が最終協議」
 http://www.asahi.com/politics/update/0427/TKY201004270187.html