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育児

2013年3月23日 (土)

人生の楽しみ方

 春の陽気が気持ちいい。こんな日は山仕事をするに限る。

 なんて、いかにもいつもやっていそうな言い様だが、あくまで「たねの森」の紙さん
(変わった名前で、最初、“神さん”かと思っていたらPaperのほうの紙で二度ビックリ!)に誘われてのことである。紙さんとは、飯能・日高のお母さんたちが中心に始めた自主保育グループ「ポノポノ」の、いわばパパさん組」つながりである。
 ポノポノ
(ハワイの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」に由来するネーミング)の子どもたちはたくましい。昨年春に始まったポノポノでは、毎日のように山を登り、川で水遊びをしていたら、おそらく同じ年齢の子どもたちよりも1.5倍は体力がついたのではないかと感じられる。うちの2歳の娘も1〜2歳上のお兄さん、お姉さんたちに必死についていったら、大人でも這うようにして登らねばならない山道をいつのまにやら「抱っこ、抱っこ」と言わずに登り切るようになっていた。

 昨日は、子どもたちが歩き慣れた山道に物足りなくなっているであろうから、パパ組が始動して、新たな山道開拓となった。Img_5218
 朝、「森の果樹園」と呼んでいるポノポノの“屋外保育園”に集合
近所に住んでいる紙さんがすでに見当をつけてくれていた新たな山道の下草を刈り、枝を伐ち、倒木を脇にけるのが昨日のタスクであった。
 作業自体は1時間強で終わってしまったが
、紙さんからこの時季食べられるという野萱草の生えている場所を教えてもらって道端で採り、彼の家の畑でありったけの菜の花を摘み、朝産みたての鶏卵まで4個ももらうと、お腹がすく頃合いになっていた
 春の陽気が気持ちよかったのは、彼の優しさのせいかもしれな
かった。

 春の陽気に浮かれたウキウキは夜まで続く。
 最近の私の密かな楽しみは、夕食当番の時にお酒をチビチビやりながら、料理をすること。言うなればキッチンドランカーと
いうやつである。昨日は、メインの菜Img_5233 の花パスタに取りかかる前に、まずは酒の肴の仕込みである。さっそく採ってきた野萱草をさっと湯がき、酢みそで和えて、チビリチビリ。こうしてエンジンがかかれば、申し分ない。

 最近では、この行為に娘も付き合う。夕食の手伝いと
称してしていることは「つまみ食い」と「内緒、内緒」。それは、私から彼女への最初の“指導”であって「人生の楽しみ方」のことである。営業職の先輩が新入社員への“教育”として「まず、休憩の取り方を教えてやる」と真っ先に喫茶店に連れて行くのとそれは似ている!?
 とにかく、ちょっとだけ正規を外す「つまみぐい」と「内緒、内緒」は至福の喜びであることを教えなくてはいけない。Img_5230 当たり前に生きていては幸福感を増幅はできないのだ。「いただきます」の前につまみぐいする美味しさと、それをに内緒でこっそりすることでその美味しさが増すことは今から知っておくべきなのだ。娘が飲んでいるのは水にぎないが(右写真)、このしたり顔はかなり様になっているではないか! うちの娘はなかなか筋がいい(笑)。

 ちなみ
に、育児の方針の相違で家庭不和になることは避けねばならないので、最後の最後にはバラしてしまう(というか大概バレている?)。せっかく作った菜の花パスタを後ろめたさなく頂くには、そういう着地点も致し方ない。パスタを頬張りながら、人生の酸いも甘いも感じてのもいいだろう。

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 実は今日は卒業式だった。卒業生を送るのはこれで2度目。つまり、石川ゼミ2期生たちの卒業式だった。
 
彼らにはこれまでどれだけの「人生の楽しみ方」を教示してこられたであろうか。些か不安もあるが、むしろ、社会に出た彼らとこれから「人生の楽しみ方」をともに教え合うというのも楽しみではないか。“大人”としての彼らとの付き合いたった今スタートしたばかりである。

19

2012年9月13日 (木)

身体論と

 娘が初めて意図して絵を描いた。これまでは、ただただグジャグジャ描くだけで、「グジャグジャ」する動作に面白みを感じていたようなのだが、今回ばかりは違った。描いた後にはっきりと宣言したのだ、それがなんの絵であるのかを。

 彼女曰く、テーマ「ウ・ン・チ」
(下写真)

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 これは“我が家史上”きわめて重大な出来事で、しっかりと記録しておかなければなるまい。たとえ、それが下品であろうと、なんでも「一番」には価値がある。彼女が最初に口にした言葉が何であったのかを父はすでに思い出せなくなっているのだから、のちに乙女心を傷つけることになろうとも、なおのこと、こうして記録しておくべきなのである。

 もしこれがきれいな花の絵だったら、あまりにフツーすぎてつまらない。むしろ親としては堂々とウンチを描ききってくれたことに無類の喜びを感じている。

 そこでおもしろがってFacebookにアップしたところ、知り合いのF教授から「身体論と存在論の弁証法的統一としての表現」との高尚なコメントをいただいた。実にそれは的を射ていて、事実、彼女のウンチは2歳とは思えないほど、立派で長い。
 最近では、「ひぃちゃん
(うちの娘の愛称)、ぷぅ〜したよ。クッサイよ〜」と無邪気にオナラの自白もする。物心がつく前の人間というのは、とことん正直で、最も人間臭い。まさに身体論と存在論の中でのみ生きていると言ってもいい。

 さらに悪ノリし、うちの妻もママ友連中にこの話をリークする
(父母ともに共犯である)。すると、その返信にはコミカルではあるが「日月生画伯」と称されており、こんな絵でも何かの間違いで評価を得てしまうこともあるのだろうと思ってしまう。

 そもそも芸術とは、その時代時代がめいっぱいの勝手な評価を下すことであり、“何かの間違い”は常に十分起こりうる。

 絵と言えば、最近もっとも話題を呼んだのが、スペイン北東部にあるボルハのキリスト画であろう。町の“画家”(80代のおばあさん)が修復したというそれは、元の絵の趣きがまったく無視され、まるでサルのようなまぬけなものに塗り替えられてしまった。
 画家の堀越千秋氏によれば
(参照:朝日新聞朝刊2012年9月12日文化面 「最悪の修復」に前例 キリスト画騒動に思う)、そもそも「修復作業」と「絵を描く」というのは別次元の作業で、修復を画家に任せてはいけないのだそうだ。しかも、他人の絵を直すぐらいなら自分の絵を描きたい!というスペイン人気質があるらしい(ほんとかな?)。この“画家”だと言い張るおばあさんは80代にしてまだその気概があるのだから、それはもう大したもんである。

 このまぬけな絵は、「世界最悪の修復」と酷評される一方で、復元計画を見直し、そのまま残しておくべきだとの声も多い。オンライン上では、ボルハ市に対し、復元計画の見直しを求める署名が1万8千人分も集まったそうだ
(先月下旬時点)
 当初、“失敗”との烙印を押されたこの絵は、結果としてとてつもない力を持っていたことを証明した。その「承認」が今後も継続していくか、私にはとても想像がつかないが、現世が認めたれっきとした「現代アート」であることには間違いない。もうそれはそれでよくて、後世で受け入れがたくなれば、また修復してもいいではないか。
 そもそも“修復”というものは、酷似させようが、似ても似つかぬものになろうが、別物になったわけなのだから、その差の程度はどうでもいいと私は思う。だから、あの修復画はアリなのだ。

 誰もキリストを見たわけではなく、どんなに信仰心にあふれても想像で描いているにすぎない。だから、
“偶像として”なのであれば、あれが間違いだと言うわけにはいかない。
 
むしろ、私の娘のように身体論と存在論で表現することが人間臭さの極みであるのであれば、写実的ではなくなったあの修復画はもっとも“キリストっぽい”ともっと賞賛を浴びてもいいのかもしれない。


【参考】
AFPBB News(8月26日) 「世界最悪」の修復キリスト画が大人気、訪問者が急増
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2897332/9413856

2012年7月 4日 (水)

ちょっと前のこと

 もう一年の半分が終わり。日々、あれこれブログに書きたいことが浮かぶにも関わらず、無情に時間は過ぎていく。こうして「あぁ、あれもできなかった、これもできなかった…」と後悔ばかりが募るうちに人生は終わってしまうのだろうか?
 そんな風に思ってしまうと徒に悲しくなってくるので、ただただ淡々と書き連ねていくのが賢明か。それはまさに“徒然なるままに”ということなのだろう。あまり深く考えずにブログのタイトルにしてあるが、それが究極の心の持ちようだと思えてきた。

 6月17日
 学生たちと皇居を1周(5km)する駅伝大会に出場。まったく宣伝していないにも関わらず、我がTRC(拓殖大学ランニング倶楽部)に4名の新入生が入ってくれ、その歓迎も兼ねた今年度初の大会。
 もう定年退職されてしまったが元拓殖大学職員の三浦さん
(前列真中)も参加。彼はこのTRC立ち上げをけしかけた張本人であり、名誉会長(と勝手に私は命名)でもある。

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 4人でタスキをつなぎ、2チームを構成。スタート地点の桜田門付近で、出場した8人でパチリ。

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 練習不足で記録は全然だったが、全力を出し切ったので自分に納得。そして、今回も「骨髄バンクにご協力下さい!」のタスキをかけて走ったのだから、それだけでOK。


 6月23日
 地元飯能のエコツアーに参加。「観光と開発」という講義を履修している学生たちに机上のお勉強だけではどうかと、今年から“課外授業”としてエコツーリズム体験希望者を募ってみた。6名(うち3名は留学生)が興味をもってくれ、加えてうちのゼミ生も月一会
(石川ゼミとして月に一度はなんかオモシロイことをしようというもの)企画として3名が参加してくれた。

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 まずは飯能中央公民館に集合。ガイドを担当してくれる「活動市民の会」の濱田さん、高沖さんからオリエンテーション。

 お二人は退職されたのち、このガイドボランティアに関わっているのだそうだ。それまでは仕事ばかりで、あまり地元飯能のことを知らなかったというのだから、不思議なもの。こうしてエコツアーガイドとして関わることが足下を見直すきっかけになったとも。

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 神社の脇にある大木。「木は呼吸していて、氣が流れているので触って感じてみて」と言われ、試してみる留学生の3人。半信半疑?(笑)

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 阿吽の呼吸についてや神社へのお参りの仕方など、日本人でも意外と分かっていないことを改めて知る。門をまたぐのは左足からだって、皆さん、知ってました?

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油断していると時折放たれるオヤジギャグ。学生たちに好評なのか、不評なのか(笑)、苦笑されながらも繰り出されるダジャレに雰囲気は自然と和んでいく。

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 森の中を心地よく散策し、ほどなく天覧山山頂に到着、小休止。みんなで飯能市街を一望。

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 程よい疲労感もあり、絶妙のタイミングで大野さん飯能市エコツーリズム推進室)より地元銘菓「四里餅(しりもち)」が振る舞われる。
 ひとつ食べれば四里(約16km)はもつという通説があり、まるで「一粒300メートル」のグリコのキャラメルのよう。飯能に越してから、そう由来を聞いていたのだが、「名栗川(入間川上流域)の四里の急流を下る際、いかだ師達は餅を食べ、尻餅をつかずに難所を乗り切ったという逸話が残っており、これらの話が由来
(Wikipediaより)でもあるらしい。
 ちなみに、餅には「四里餅」との焼き印が押されているが、その字の向きによってこし餡か粒餡か区別ができるようになっている。


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 ま、そんな蘊蓄はさておき、“花より団子”

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 山を下って反対側に行くと、湿地がある。ラムサール条約を出すまでもなく、湿地帯にある生態系の重要性を目にした。
 蛙と聞けば、普通にいるものと思いがちだが、今や絶滅危惧種に指定されるものもいる。ここではモリアオガエルやヤマアカガエ
などが見られるらしい。他にもわずか7gしかないカヤネズミという小動物もいるとのこと。来る途中にも希少になったギフチョウやカントウカンアオイという植物の話も聞くが、私たちはその多くを「チョウ」とか「草」と一般名詞でしか呼べない。それも絶滅危惧種に追いやるひとつの理由であるように思えた。

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 天覧山山頂で撮った集合写真。
 
 ツアー終了後、地元の蕎麦屋に入って、みんなから感想を聞く。一様に「楽しいツアーだった」「また参加してみたい」と言ってはくれたが、「若者にはウケないかも…」と正直な意見も。
 授業でエコツーリズムの話をした時には、「経済的にはどうなの?」といぶかしがる意見が結構あった。“観光業”という以上、たしかにそれは無視できない。が、お金では計れない価値がここには回っている。観光とは、どうしても参加する側の視点でものを言いがちになるが、受け入れ側や企画する側の視点も併せた総体で評価すべきだと思う。そう考えれば、定年後にイキイキとガイドボランティアをする濱田さんと高沖さんの場があるということ自体に意義ある価値を見出せる。そうした価値だって無視できない。

 昨今、経済的価値だけで豊かさを見るGDPという指標の限界が囁かれている。フランスが幸福度を計ろうとする新しい指数を提唱しているのはその証しだ。
お金だけで物事を見ないという風潮が出てきたのは頼もしい。ただ一方で、先月のリオ+20で採択されるはずだった成果文書(宣言文)からは、日本やブータンが提案した幸福度指標は削られた。
 今はそれら価値観がせめぎ合い、どちらの方向に向かうのか、対話が必要とされるエポックメーキングにある。

 いずれにせよ、こうして学生たちと時間をともにするのは幸福なことだ。そんな風に考えた、学生たちとの「ちょっと前のこと」でした。

【余談】
 エコツアー開催の日は、娘の留守を妻に頼まれていたので、子連れで参加。だから、実はあまりガイドの説明を聞けていない。最初は見慣れぬ学生たちに緊張し、大人しくしていたが、時間が経つにつれ、飽きと母親がいないストレスからかワンワン泣き始め、すっかり体力を消耗したよう。
 ちょっと申し訳ないことしちゃったかなぁ…。

 ※写真は天覧山山頂にて
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2011年12月28日 (水)

「ママ」と「まんま」の共通項

 1歳4ヶ月になろうとしている娘は、まだ喋れない。が、「ママ」と結構はっきりと言う。
 しかし、それは道理が通らない。うちは「パパ・ママ」ではなくて、「父ちゃん・母ちゃん」と呼ばせようとしているのだ。だから、一度も「パパだよ〜♪」なんて口にしたことはない。

 実は、「ママ」ではなく、
正確には「まんま」と言っている。おっぱいを欲しがる時、ご飯を口にしたい時に、かなり切実に「まんま」と言うのだ。
 しかしこれまた道理が立たない。私たち親がおっぱいやご飯のことを“まんま”だとは教えなかったし、今でこそ私たちもそう口にはするものの、娘は
その前から自然発生的!?に、お腹がすくと「まんま」と言って欲していたのだ。

 
英語に限らず世界のいくつかの言語で母親のことをママ(mama)と呼ぶ。グルジア語やアボリジニの言語では、父親さえもママと呼ぶのだそうだ。このことと、日本語の幼児語において、ご飯全般のことを「まんま」と呼ぶことの酷似性は偶然とは思えない。

 そこで実験!
 改めて「ア・カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・ワ」とゆっくり発音してみたのだが、他は結構舌や歯を巧妙に使うのに対し、「ア」や「マ」に関してはそれを使わずに比較的楽に発音できる
(「ハ」や「ワ」もそうか)。まだ十分に舌や歯が発達していない乳幼児にとっては50音を駆使するのは、至難の業なのだろう。その中でも最も発音しやすいのが、「ア」や「マ」であって、それは古今東西どんな赤ちゃんであれ、万国共通ということなのだろう。

 だとすると、母親のことを「ママ」と呼ぶことにし、ご飯のことを「まんま」と呼ぶようにしたのではなく、順番は逆なのだろう。つまり、まだ言語を十分に操れない乳児が、ようやく音を発せられるようになり、なんとか親とコミュニケーションを図ろうと「マ」や「ア」を必死に重ねる。それが「ママ」であり、「まんま」であったというわけだ。
 そしてそれは、幼児にとって生死を分けるかもしれないものの二つ(栄養とその供給源)というのも決して偶然ではないのだろうと思う。

 我ながらなかなかの推論と誉めてやりたいが、それが実証されてしまうことは「父ちゃん」と呼んでもらうことがまだまだ先になるというジレンマに陥る…。
 娘に「父ちゃん」と呼ばれるのは、来年へ持ち越しとなりそうだ。

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先日、娘に初めて靴を買ってあげました。
だいぶ歩くのも慣れてきたようです。
来年はもっと活動的になりそうです。
来年も時折“親バカブログ”になりますので
何卒ご容赦を。

2011年12月 4日 (日)

ウンチとおしっこの会話

 トイレには「それはそれはきれいな女神様がいる」と娘に教え諭そうかどうか迷っている。もちろんファンタジーの重要性は重々承知しているが、まんま植村花菜をパクるのは気が引ける。
 いっそのこと、「トイレで最も雑菌の多いところはどこだ?」と問い、それがトイレをきれいにするはずのトイレブラシであって、8億個もの細菌がウヨウヨいると現実主義で通すのもいいかと思っている。人生はそうした矛盾と皮肉に満ちていると幼少の頃から哲学に触れさせるなんて、とてもオシャレではないか。


【参考】ジョンソン株式会社HP「トイレの雑菌をちょっと科学しよう」
http://www.johnson.co.jp/life/knowledge/toilet_zakkin.html

 最近、愛娘はトイレで用を足すようになった。そろそろおむつを外してパンツにシフトしようと目論んでいて、親子双方に緊張感があるからかもしれない。まだ100%とは言わないが、おしっこもウンチも「もよおした」とサインを出し、我々夫婦もかなりの確率でそれを察知できるようになっている。おしっこの時はそれが出てくる部分をチョンチョンと手で叩き、ウンチの時は眉間に皺を寄せ、「うぅ〜〜〜」という不快極まりない低音で訴えるのがあらかたのサインである。
 いっちょまえに、し終えるとトイレットペーパーに手をやり、排泄物が出てきたあたりを拭き、便器にポイッと捨てる。ただし、
あくまで“あたり”を拭く仕草であって、直に触れてはいない。それは私がし終わった後にそうしてあげているので、真似をしているにすぎない。つまり、彼女にしてみれば、機能的にそれをしているのではなく、茶道よろしく、厳格な段取りのひとつとして、最後にその所作としてしているというわけだ。Img_2457_2
 用を足し終え、私が抱きかかえてあげると、便器に向かって決まって二人で「バイバ〜イ」とやる
(ちなみにこれは排泄をネガティブなものとして捉えないようにと妻がやり始めたことだ)。これで、表情は晴れ晴れとしたものに成り代わっている。
(右写真参照:補助便座を使って用を足す娘。起きがけで髪は跳ねまくっているし、一応、女の子なのでこんな姿を公にしてはいけないのでしょうが…)  

 ゴミを大量に出したくないということと出費をできるだけ抑えたいということ、そして子どもとコミュニケーションを図りたいという理由で、我々夫婦は紙おむつではなく、布おむつを選択した。技術はますます進歩し、優れものの紙おむつは、おしっこを漏れなく吸収し、しばらく替えなくともいいようにできている。無論、育児する側の苦労はなくしていくに越したことはない。それでも、育児される側の都合も考えると、おしっこでおむつが濡れ、冷えて不快感を感じたとメッセージを発する機会(権利)を与えてあげたいとも思う。

 便利さの上昇はコミュニケーションの頻度と反比例する。それは今の社会の相当な部分に適合する原則だと思う。私はそれを“コンビニ化”と称しているが、それが行き過ぎた場合の状況を想像し、あまり便利さにかまけないようにしたいものだ。
(これは教育分野にも当てはまることで、研修でもよくこのことに触れ、警鐘を鳴らしている)

 ただ、どんなに娘とコミュニケーションを図りたいと思っても、父親なんていつかはすげなく扱われるのだ。
 先日、雑誌を読んでいたら、非常にショックな記事に出会った。未婚女性に対し、複数人の男性が2日連続で着たTシャツを、いい匂いのする順番に並べ替えてもらう実験をしたところ、HLA(ヒト主要組織適合抗原)の型が最も自分と異なる順番に並べ替えたそうなのである。つまり、これの意味するところは、最も血縁の近い男性(要は父親)を“臭い”と認識するのだという。思春期に娘が父親を遠ざけるようになるのは、このせいなんだそうだ。
 その記事には「女性は免疫力を強化した子を産むために、無意識のうちに型の遠い男性の匂いを嗅ぎ分けている」とあり、「健全な嗅覚が育っている証拠」と言うが、そんな理不尽なことってあるもんか! あえて面倒な布おむつで育てても、そんな恩は忘れられ、10数年も経てば「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!」と無下に言い放たれるなんて…。
 やはり、人生は矛盾と皮肉に満ちている。

【参考】
 『AERA with Baby』 2011年11月号 朝日新聞出版
 「どうしてできる? 好きな匂い 嫌いな味」

2011年10月 6日 (木)

我が家の小さな哲学者

 まだ言葉を操らないから気づいていないだけだが、娘は大人(当然、特に親)を見て、まねごとをし、幾何級数的に人としての知恵を身につけている。イイこともワルいことも。あらゆる日常を見られている親としては、おちおちとしてはいられない。

 おおよそはその成長を微笑ましく見ていられるのだが、唯一、私も妻も許せないのが、思いっきり鼻の穴に指を突っ込むことである。しかも、それが快感であるような表情をしているのだから、即指導を入れる。
 しかし、娘のほうが上手で、「止めなさい」と指を引き抜いても、更なる笑みで、その所作を繰り返す。こちらも笑うしかないのだが、
たかだか1歳のやることとは言え、曲がりなりにも女の子である以上(娘はあらかた男の子に間違われる)保育園に行く前には何としてでも止めさせねばなるまい。というか、人としても解せないか。

 とにかく、娘はそんな親の思いを意に介さない。こちらは呆れ果て、最後に矛先は夫婦双方に向けられる。「普段、お前が日月生(←娘の名前)の前で、鼻、ほじってんだろ!」「いや、あなたでしょ!」と責任をなすり付け合っているのだ。

 子を持つと本当にいろいろなことを考えさせられる。生き方のシンプルさに、娘から学ばされることも多い。前述のエピソードじゃないが、娘が鏡となって、自分を見透かされるような気分になることもある。
 また、子育てを介して、今まで持つことのなかった、けども持つべきだったと思う時間を持つようにもなっている。

 帰りが遅くなければ、娘を寝かせつけるのは私の役割だ。風呂に入れ、服を着させるまでが私の役割で、その後、妻がおっぱいをくれてやり、再度、私にバトンタッチされ、二階の寝室に連れていく。
 最近のパターンとして、妻の乳房から離されるや否や、私に“拉致”されることを予見し、「こっち来るな〜」と大泣きが始まる。それでも強引に連れていくと、布団に乗せてもしばらくは泣き止まず、挙句の果てには、策が尽きたと指をしゃぶって天井を見やり、「これはなにかの間違いだ」とばかりに現実逃避へ走っている。やばいことに、目は見開いて完全にイッっちゃっていて、意識は彼岸に行っている。

 さすがにそのうち本当に「彼岸」へ行き、眠りにつくことになるのだが、一応、目が開いている状態まではそばを離れられず、添い寝してあげている。その時間が、時に5分だったり、30分だったりするのだが、実にいい。

 照明は落としてあり、音はほとんどしないので、私自身が瞑想しているような時間となる。今日の仕事の捗り具合をふりかえることもあれば、明日やるべきことを整理することもある。この子と10年後はどんな会話をしているのだろうと想像し、まだお風呂に一緒に入ってくれるだろうかと願いも込める。孫には生きているうちに会えるだろうか、老後は妻と仲良くやれているだろうかと心配もする。
 “瞑想”と言うには大げさで、卑近で雑多なことがほとんどだが、静かに自分と家族を見つめ直している時間であることには間違いない。言葉を交わすわけではないが、そうした意味で、私は娘とのこの時間を我が家の「哲学」の時間だと思っている。

 すでにロードショーは終わっているようなのだが、自主上映会でもいいので『小さな哲学者たち』という映画を観てみたいと思っている。3〜4歳の園児を対象に実際に行われたフランスの幼稚園での哲学の授業の模様が描かれているドキュメンタリーだ。予告編でほんの一部分とはいえ、子どもたちのやり取りは実に深遠で興味深い。

 「愛ってなに?」
 「自由ってどういうこと?」

 
彼らのあまりに自然な問いかけとそこに真摯に向き合う姿を見ると、どうしてこんなにまで現代人は哲学を語らなくなったのだろうと残念に思う。

 ま、そんな偉そうに言えるほどではないのだけど、少なくとも娘に機会を与えられた「哲学」の時間があることに感謝している。そして、寝かせつけながら、二回に一度は私も「彼岸」へ行ってしまい、睡眠学習の機会まで得られているわけなのだ(笑)。

 いろいろな機会を与えてくれている、うちの“小さな哲学者”には感謝しきりなのである。

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2011年9月 2日 (金)

祝366日目

 今日、カフェでランチをとっていたら、お釣りが2,000円札できた!
 あまりの珍しさに、なんかいいことありそうな予感。
 でも、それは本当に予感にすぎなかった…。

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 昨日は本当にめでたい日だった。娘が1歳の誕生日を迎えたのだ。ちょうど1年前、遅筆である私がその日のうちに誕生を報告するブログ(「親バカ永久宣言」)をアップしたのだから、あまりの嬉しさだったと想像する。今読み返せば、赤面の至りだけど、あれから1年が経過した。

 とにかく、まずはここまでよくきたものだ。誕生の神秘にも感動したが、育児を当たり前の日常風景として連ねてこられた奇跡に我ながら感激する。なにせ、離乳食を与えるというプロセスをすっとばし、手づかみでご飯や野菜を食べるように娘はなってしまっている(無謀に見られるだろうけど、これも一応、うちら夫婦のポリシーだったりする)。

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 “親1年生”の私たち夫婦の乱暴な育て方に耐え忍んだ娘は、ゆえに讃えられる対象であっていいのである。

 それで、1歳のお祝いに何をしようかと妻と相談したが、なんともしゃれた案が出てこない。夫婦揃って「何かすごいことをしてやろう!」と意気込みだけが前面に出るタイプだから、決めごとをするのにいつも難儀する。“適当”という大人の流儀を知らない奴とは一緒に仕事をしたくないよな〜と互いに思うたちだろうに、互いにそれが治らない。一生付き合っていかなければいけないのにだ。

 こういう時は原点に立ち返るのがいい。もともと自然にちなんだ名前をつけたのだから、緑のものを贈ってはどうだろう。思い起こせば、義理の姉夫婦からは出産祝いにエコロギフトというところの「植樹証明書」をもらっている。優柔不断な我ら夫婦は、人様のアイデアに相乗りし、今回もそれでいこうということにした。1歳児への贈り物としては心持ち渋すぎるが、まだ喋れない子どもへの誕生日プレゼントなんて、そもそも親の自己満足である。
(参照:プレゼントツリー

 さて、もうひとつ父からの贈り物を。

Img_2205
 何年ぶりだろうか。時々、自分でボタンをかけたり、靴下を縫ったりはしていたが、“ちゃんとしたもの”はおそらく文化祭の展示品として制作したエプロン以来だろうと思う。

 妻が持っていた『手ぬぐいで作るこども服』
(モリユカ著 アスペクト)という本を参考に、手ぬぐい1枚で作ってみた。
 思うようにミシンを駆使できず、あちこち糸がグチャグチャしているが、遠目には分からないからよしとする
(写真だったら、なおのことよく分かんないでしょ♪)。父のデビュー作としては上出来だ。

 ここでも幸い、娘は喋れない。「お父さん、下手くそ!」なんてことは思っていても言えないのである。傷つかされるのは、彼女の思春期までとっておきたい。
 でも、本当に「お父さんと洗濯物は一緒にしないで!」なんて言われたら、家の隅っこに小さくなって体育座りしてしまう。それは今からはっきりしている。

 今この立場になって思うが、子どもに何て思われようが、親は押しつけの愛情を振る舞ってしまうものだ。いやがられても、うざったく思われてもいいのだ。その行為自体が幸せなのである。本当に身勝手だが、そういうものなのだ。

 その押しつけの愛情を全部受け取ってもらう必要はない。時折、「嬉しいよ」という素振りをみせてくれればいいのだ。

 そういう意味では、父の初打席は、かろうじてヒットだったのだろうと思っている。これも勝手な解釈だが。

 そうか、そんなふうに勝手な都合のいい解釈がどんどん出てくることが幸せなのか。それを引き出してくれる子どもというのは、やっぱり誉めたたえてあげたい対象なのだ。

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p.s. 皆さん、娘のこの表情は父作のズボンを履いて喜んでいる感じですよね? え、喜んでいるのは、木のおもちゃのほう?(笑)

2011年5月30日 (月)

育児戦線異状あり

 順調に成長し、ここまでなんの問題も起こさない孝行娘が、初めて高熱を出した。熱が高いだけで、機嫌がよく、おっぱいもよく飲んでいる。しいて言えば、いつもよりよく寝るし、おむつ替えがやけに楽なのが少々気になる。育児本や妻のママ友情報から、おそらく突発性発疹と思われるので、とりあえず経過観察。親としてはただただ寄り添ってあげるだけで、ろくな手助けをしてあげられるわけでなし。
 こうした中、彼女は生まれて初めての“戦い”に、自らの力でなんとか打ち勝とうとしているのだろう。親離れは、もうこの時から始まっているのだと思う。

 とはいえ、せめても熱ぐらい下げる努力はしたい。
 「そんな時はキャベツがいいらしい。小松菜も効果的。」
 ものの本ではそんな風に書いてある。

Rimg0195  出産直後の妻は、急におっぱいが張ったせいか、とにかく痛がっていた。そんな時、キャベツの葉っぱを乳房にかぶせるといいと知り、スーパーにキャベツを買いに行ったことがある。最初、水に浸けたタオルを絞って対処していたが、すぐにぬるくなる。が、それがキャベツだとじ〜んわり冷やしてくれる上に、その持続力たるや想像以上だったとは妻の評。
(左のように、妻のキャベツ実証写真はありません。あしからず(笑))
 今回はその経験値も後押しし、頭をキャベツで覆い、枕代わりに小松菜の葉を二枚重ねて敷いてあげた
(ちなみに、この小松菜は昨日の駅伝での戦利品)

 なにかあれば、どうしてもすぐに病院やドラッグストアに行きたくなるのだが、日常の中の知恵のほうが優れていることもある。現代医学を頭ごなしに否定するつもりはさらさらないが、埋もれそうな知恵は是非とも引き継いでいきたいと思う。

 そもそも地球から生まれてきた私たちは、自然の中に答えを持っていて当然だ。動植物から発明のヒントを得るバイオミミクリーバイオミメティクス(生体模倣技術)といった考え方は、まさにそれに当てはまる。人は、鳥のように飛びたくて飛行機を発明し、魚のように速く泳ぎたくなって高速競泳水着を開発してきたのだ。科学は常に自然をお手本に、そしてそこを目標に掲げてきた。46億年もかけて構築された仕組みを追い越そうなんてことは考えないほうがきっといい。

 さてさて、突発性発疹であれば、そろそろ娘の熱は下がっていい。明日、私が仕事から戻る頃には平熱になっていてほしいものだ。「赤ちゃんがお誕生日までに通過しなければならない関所だと思っているのがいい」らしい病気であっても、親としては(特に初めての子であればなおのこと)気にかけないわけにはいかない。
 こうして
時折育児には「異状」が起こる。それを“関所”と思い、見守っていくのも親の務めであると感じている。

【参考】
松田道雄『定本 育児の百科』岩波書店 1999年
鈴木博・王瑞雲監修『はじめての育児』池田書店 2008年
 

2011年4月25日 (月)

それでいいの?

 通販でない限り、本を買うのはもっぱらジュンク堂池袋本店だ。ワークショップ直前にプログラム考案に行き詰まり、図書館感覚で頼りにし、資料をかき集める。欲しい資料がここになければ諦めもつく。
 先日、購入した本に関して問合せがあって、立ち寄った。「少々お時間をいただけますか」ということだったので、すぐそばにあった雑誌コーナーで時間をつぶす。すると、これまでならおそらく見逃していたであろう「育児」「子育て」といった文字がどうしても目に入ってくる。きっと、これまでも関心を寄せはしないが有益だったかなりの情報を見過ごしていたにちがいない。そう思うと愕然とする。
 しかし、有益な情報をすべて吸収するのはどだい無理なのである。出会ってくれたその時々の情報に感謝し、邂逅の恵みをいただくしかない。

 目にもつき、手にも取ったのは、『PEN』の最新号。たまたま特集が「35歳から学ぶ! 男の『子育て』教室。」で、手に取らないわけにはいかない。

 特集の冒頭に様々な統計が紹介されていたが、意外だったのは「お風呂に入れる」お父さんの割合。「ほぼ毎日」「週に3〜5回」をあわせて、4割ほど。「お風呂に入れるは、お父さんの役割だよねぇ」と妻に言われ、生まれた直後からそれを甲斐甲斐しくやってる僕は、全国のお父さん諸君はそうしているものだと思い込んでいた。しかし、この統計を見て思った。思い込んでいたばかりか、妻に思い込まされていただけなのかもしれない。
 でも、娘とお風呂に入るのはなんとも幸福な時間だからいい。僕は、娘が二十歳になるまでは一緒にお風呂に入れるものだと“思い込んでいる”(笑)。

 逆に想定通りだったのが、日本のお父さんの帰宅時間の(異常なまでの)遅さである。
 アジアの4都市(東京、ソウル、北京、上海)を比較すると、北京、上海のお父さんたちは17〜18時台の帰宅が最も多く、ソウルはそれが19時台になる。東京はと言えば、20時台の層が一番厚い。子どもがもう就寝するであろう21時以降の帰宅となると、北京、上海は3%以下でしかないのに、東京は39.7%にもなる。

 それでいいのか、世のお父さんたちよ!

 私は今の日本のライフスタイルがどうしても解せない。もちろん社会的な責任として会社で課された仕事を全うしなければいけないのは分かる。生活していくにはその勤め先から給料をもらい、そのためには残業や休日出勤も引き受けざるを得ないしがらみもあろう。

 だとしてもだ。この生き方は絶対におかしい。ヘトヘトに疲れるまで自分を酷使し、天使のような娘とお風呂にも入れず、終電で帰ってくるなんて。平等に与えられた24時間の使い方って、そんな風に使うもんじゃないと思う。
 もちろん、とにかくひとつの仕事をするのが何より好きだというのなら、それを否定しはしない。要は、自分が納得して人生を送っているかどうかだから。

 昨晩、NHKの『ダーウィンが来た!』でアマゾンに棲むティティというサルを特集していた。このティティのオスは、授乳以外の育児をいっさい受け持つという超“育メン”動物なのだそうだ。
 彼らが、なぜそこにメリットを感じ、そういう生き方を選択するようになったのか、インタビューするといい。きっと人生観を変える箴言を発してくれるんじゃないだろうか。


【参考】
・ベネッセ次世代育成研究所
 「乳幼児の父親についての調査〜東アジア4都市比較 〜東京・ソウル・北京・上海〜」
  http://www.benesse.co.jp/jisedaiken/research/research_12.html

2010年12月15日 (水)

新潟出張で人生の選択について考える

 新潟・長岡での仕事に向かう途中で、このブログを書き始めている。かなり久しぶりの上越新幹線への乗車となった。

 新幹線に乗ると決まって『トランヴェール』を手に取ってみる。飛行機であれば機内誌と呼ぶのであろうが、新幹線にあるものはなんと呼ぶのだろう?  
 まぁとにかく、旅している時は(今回はあくまで出張だが)ちょっとしたアイテムひとつとっても旅一色に染まっていたいと思うのだ。熟読するわけではないのだけど、ぱらぱらとページを繰ってはきれいな風景写真や粋な紀行文に目を通す。きっと、極力、自分を日常から遠ざけようと無意識に手に取っているのだろう。それは少し寂しい感じがするのだけど。
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 今月号の『トランヴェール』は12月4日に東北新幹線が青森まで開通したから、ことごとく「青森」である。奇しくも私が大宮駅で小腹を満たすために買ったおやつは「リンゴのロールケーキ 青森産のりんごジャム入りクリームを使用 祝東北新幹線新青森開業記念 食べてね おいしい北東北」と書かれたものであった。会社あげての盛り上げようである。
 さて、中味であるが、太宰治記念館「斜陽館」が取り上げられている。今でこそ読書をしなければ仕事にならず、ゼミ生には読書の必要性をとうとうと説いているのだが、文学といったものにはほとんど触れてこなかった。ゆえに太宰治など読んだこともなければ、手に取った記憶さえない。白黒のせいもあるのだろうけど、あるイメージと言えば、蒼白で、左手を頬にあて思い詰めているような、いかにも「北の人」という暗いものである。斜陽館が太宰の作品名に由来するものであり、そこが生家であることぐらいは聞いた覚えがあるが、部屋数が30あまり、下働きの者も含めて30数名が暮らす大所帯であったことはこの雑誌記事で知った。大邸宅は村の中心地にあり、その周囲に警察署、村役場、小学校が次々と建てられていく。彼の父は国会議員であり、地元の名士であった。つまり、太宰は相当な“おぼっちゃま”なのである。

 当時の作家と言えば、非常に貧しい生活に耐えながら文筆業に心血を注いでいたようなイメージがあるが、たしか自分と同郷の宮沢賢治も石川啄木も生まれはそんなに悪くなかったはずである。
 しょせん、「作家」などというような洒落た職業は、ある程度の財力やステイタスのある境遇にあらなければなれなかったのであろう。当時の庶民の子は到底そんなものになろうなどと考えなかっただろうし、そもそもそんな職業があることすら知り得なかったのだと思う。つまり庶民の子の人生における選択肢は、太宰と比べれば、桁が一つも二つも違っていたにちがいない。

 妻と付き合っていた頃、劇団四季の「マンマ・ミーア」を観に行ったことがあった。その観劇後、劇場を出たところで無性に涙が出てきたことが思い出される。
 まだ結婚前で初々しく付き合っていた妻が隣りにいるばかりでなく、横を鑑賞客が大挙して通り過ぎていくのにも関わらず、ベンチに座り込んではばからずに泣いた。よっぽどのことがない限り、涙を流さない体質の私が、号泣というほどの大粒の涙を流したのだ。

 それはなにもミュージカルに感動して、その余韻で泣いていたのではない(無論、ミュージカル自体は感動的であった)。煌煌とライトを浴びせられ、観客からは割れんばかりの拍手喝采を受ける。その何度となく繰り返されるカーテンコールを見ているうちに、奥底から羨ましさと悔しさと情けなさが入り乱れて湧いてきて、それが大粒の涙となったのだった。両手を高々と上げ、観客席に向けて誇らしげにしている俳優たちが、なにか「我が人生に悔いなし、間違いなし」と自信に溢れているようにうつったのだろう。こちらは、結婚を決意する微妙な時期だったこともあって、自分の人生を見出しきれない自らにほとほとウンザリしたに違いないのだった。

 帰宅後、劇場で買ったミュージカルのパンフレットに目を通した。キャストの経歴が書いてあって、そのほとんどが幼少期からクラシックバレイやジャズダンス、声楽などのトレーニングを受け、そして首都圏(または都市部)出身者だった。岩手出身の私の人生において、そうした選択肢は皆無であって、まったく別の境遇におかれていた。そう思うと、さっきの涙が嘘のようにひいていった。そもそも私の人生にそれはなかったのだから。

 別にミュージカルスターになりたかったわけではないが、はなから閉ざされている道があるのだと思うと、楽観主義者であり、理想(夢想?)主義者である私は、人の一生のやるせなさや理不尽さを覚える。
 先日、知り合いから「娘さんには何か習わせたりしないの? 石川さんのことだから子どもの自主性に任せるのだろうけど、それだとどうしても遅くなってしまうものもあると思うよ」と諭された。たとえ親であろうと、子どもの人生を親が規定してしまうことはしたくない。「したくない」とは言っても少なからず娘の人生を私ら親が作り込んでしまう。

 今はただ娘をあやし、何も考えずに微笑みかけているだけ。しかし、きっとこれからは多くの悩みに遭遇していくのだと思う。

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