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開発教育

2014年8月 2日 (土)

スリランカ訪問記・その1〜成田空港でおもふ

 今、成田空港の86ゲート前でスリランカ行きの便を待っている。もう1時間ほどで機上の人となる。

 ありがたいことに、毎年この時期、海外研修の引率で日本でないどこかへ“シゴト”で行っている。一昨年はブータンで、昨年はインド・ラダック。どちらもグローバリゼーションの押し寄せる波に抗っているところである。そこに住まう人たちが実際に何を選び、何を良しとしているのか見てこよう、つまり「開発のあり方」を考える研修という位置づけだ。そう書けば大学の教員らしい“シゴト”に聞こえるが、やはり、酷暑の日本を離れ、海外に“退避”するのは「いいなぁ〜」と言われてしまう(特に妻に(笑))。

 成田空港に向かうスカイライナーでぼんやり窓外を眺めていると、微妙な速度で在来線を追い越していった。微妙な速度ゆえに、しばらく並走し、向こうの車両の人たちの様子が明瞭に見える。通勤中と思われる疲弊気味のサラリーマンを眺めれば、卑しいのだが優越感を覚える。

 旅に出る者とシゴトに向かう者は、一方はホッとリラックスし、一方は憂鬱さを滲ませる。日常から離れることで人は癒され、日常に身を置くことで何かがすり減らされていく。

 果たして、これっていいことなのだろうか? 日常を離れなければホッとでいない生き方というのは、なんとも皮肉ではないだろうか。
 旅をすると、いつもこの矛盾にさいなまれる。日常を旅として、旅を日常とすることだってできるのではないか? 非日常だけが「旅」であっては、ドキドキワクワクは旅の特権になってしまう。

 成田空港の広い空を見ていると、この昂揚感をふだんも感じてみたいとも思うのだ。

 さぁ〜て、そんな思索に耽りつつしていると、搭乗時刻がまもなくとなる。今回、旅するこの面々と、どんなことを感じてこられるのか、とにかく楽しみなのである。


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2013年12月29日 (日)

ラダック訪問記⑦〜グローバリゼーション

 今回の研修はグローバリゼーションと開発の問題を考えにきたと言っていい。それは「観光」ではきっと分からないのだろうから、僕らは悪あがきに「スタディツアー」と銘打ってなんとか答えに辿り着きたいと思っていた。そういう点で、レーから車で何時間も揺られ、リクツェ村で4日間のホームステイをしたことの意味はある。
 ただ、彼らと
(わずか4日間ではあるが)寝食を共にして感じたのは、グローバリゼーションの波に侵されているような、いないような…といったつかみどころのものなのではあるが。

 興味深かったのは、リクツェ村滞在最後の夜に村の人が総出で集まってくれて、男性グループ、女性グループ、若者グループ、そして我々の四者でディスカッションをしたことである。Img_6300

 「今一番欲しいものは?」と問えば、女性たちは「お金!」と遠慮なく言い、「だって教育費にお金がかかるし、旦那は収入がないし(笑)」と笑い飛ばす。一方、男性たちは「お互い助け合いでやっているので、お金は必要ない」と言い張る。でも少し間を置き、「でも、これからはお金が必要になってくるかも…」とも言い加えた。
 若者は率直に「車、パソコン」と答えた。

 「いろいろ社会が変化していく中で、これから家族の関係はどうなっていくのだろう?」という疑問には、意外にも若者が口火を切って「今のままであってほしい」と言い、大人たちは「いや、崩れているだろう」と案じる。それでも若者は「いやいや、そうなってほしくはない。どうなるかは自分たちの手中にある」とも力強く言った。そんな宣言ともとれる若者の決意めいた言葉を尻目に、女性たちが「でも私たちゃ、もう生きてないね」とやはり笑い飛ばして、最後、持っていってしまう。

 この時間の結論。グローバリゼーションの行き着く先は“女性の時代”ということである(笑)。

 途中、「東京のように時間に追われる生活をどう思うか?」という問いも参加者から投げられた。「時間どおりに事が運ぶ日本のほうがいいと思う」と真剣な顔をして話してくれたが、そもそもこのディスカッション、数時間も遅れて始まった。そのことを突っ込むと、「それは言わないで下さい」と村の人たちは苦笑い。
 たしかに、畑仕事が手間取ったのが主な理由なので責めるつもりは毛頭ないのだけど、道路工事には遅れないで行っているとのこと。

 前にブログでも少し触れたが、ここは経済的な発展に伴い、中心地レーから舗装された道路が延びようとしてるところであるとともに、地政学上も非常に重要な経路となっており、政策的に道路建設が行われているのである。移動中、何度も道路工事の場面に出くわしたのはそのせいだ。

 その道路工事には村人たちも駆り出され、彼らの今の生活を支える大きな収入源となっている。そのことは、もろもろに彼らの生活へ影響を及ぼしてもいる。
 ディスカッションの中では「8時に迎えにくる車には遅れないで行っている。遅れたら給料から割り引かれるから」と話していた。また、今まで心配することのなかった泥棒が出るかもしれないということで「鍵をかけるようになるかも」とも話していた。人の行き来も増えるから、これ好機と「
畑をもっと開拓して、稼ぎたい」と言い、「でもマーケットがないからそういう場も欲しい」と惜しげに話してもいた。
 彼らの心中は微妙に揺れ始めている。

 朝のジョギング中に見つけた岩肌にあった落書きにはこう書かれていた。

 "LADAKH IS THE PRIDE OF OUR COUNTRY"

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 ガイドのスカルマさんに聞けば、これは落書きではなく、日本で言うところの国交省のようなところが描いた標識みたいなものらしいが、それでもラダックの人たちの心情そのものでもあると思う。それはいろいろな意味で。

 彼らは決して自分たちのことを“インド人”とは言わず“ラダッキー”なのだと言う。
 ホームステイ先にあったカレンダーを覗いたら8月15日のところに"Independence Day"とあったので、「この日は村でお祭りでもするの?」と聞いたら、「何もしないよ」と素っ気なく答えられた。18年前に訪れたインド・カルナタカ州の村では盛大なお祭りをしていたのに、だ。

 道路や家の建設でネパールから出稼ぎに来ている人ほどガツガツ働きはしない様Img_6078子を「どうしてか?」と聞けば、「ラダッキーはLazy
(怠惰)だから」と彼らを横目に言う。(左写真は、出稼ぎのネパール人たちが建てているホームステイ先の新居)
 これは、昨年言ったブータンでも全く一緒で、出稼ぎの人たちに対して自分たちをLazyと
謙遜であるのか言っていた。それは自分たちのこれまでの生き方を曲げたくないというプライドでもあるように私には聞こえた。

 だから、あの岩肌にあった言葉はラダックの豊かな自然資源を謳ったものではあるのだろうが、私には複雑に、そして意味深げに映ったのだった。
 
 ラダックを後にして、乗り換えのデリーのホテルでおもむろにテレビをつけるとCNNのニュースが流れていた。奇しくもそこではラダックの道路建設のことを特Img_6474集しており、見覚えのある風景をバックにレポーターが話している。
 その特集のタイトルは"Road woes in Ladack" 
 意訳すれば「延伸する道路がもたらすラダックの苦悩」といったところか。

 その道はどこへ続いていくのだろうか…。

 ラダックの未来は僕たちの未来とも重なるのだと思うと、その道がどこに繋がるのか、他人事とは言っていられないのだろう。

【参考】
JICA's World 2013年7月号 「太陽光で自然に優しい生活を」(NPO法人 ジュレー・ラダック)
http://www.jica.go.jp/publication/j-world/1307/ku57pq00001f7taf-att/04.pdf
※ラダックでは、ジュレーラダックの協力のもと、新しい開発のあり方として自然エネルギーの利用も進められている。

2012年12月14日 (金)

DEAR30周年と池澤夏樹

 私は結婚式というものが大好きだ(もちろん、何度もしたいということではなく、それに出席することなのだが)。
 
なにより飲み放題というのがいいではないか。Img_4525心置きなく飲めるということほど、至福の時はない。一緒に列席した娘が、普段飲まない(飲ませてもらえない)ジュースにむしゃぶりつさまを見ていると、それは万人に共通する本能的なものなのだと思わされる。(当然、単なる遺伝なのだが(笑))

 先週末はお祝い事つづきだった。
 日曜日は、親戚の結婚式で、上京してきた両親を娘と東京駅に迎えに行き
(二人とも若い時に東京で働いていたが、今となってはまるで土地勘がなくなっている)四ッ谷にあるホテルニューオータニへ向かった。
 土曜日は、私が長年関わってきたNPO「開発教育協会(DEAR)」の設立30周年記念フォーラム
に参加した。会場となったのは上智大学で、奇しくもこちらも四ッ谷だった。

 記念フォーラムの名称は「わたしが、世界を変えるチカラになる〜池澤夏樹さんとともに〜」である。悲しいかな、この30年間(私が実質関わってきたのは、およそその半分の15年間)会員をはじめとする津々浦々の実践者たちの努力はあったものの、開発教育が市民権を得たとは言い難い。
 だからこそ、
30周年を機にこれからの30年より認知を広めていきたい!との強い思いがあるが、その糸口に池澤夏樹さんの知名度をお借りしようという魂胆がタイトルから見え透いている企画に携わったが言うのだから、事実そうであって、私自身、彼の講演を一番楽しみにしていた。(ちなみに、オープニングで会員による祝祭的なミュージカルが披露され、諸般の事情で自分もそこにプチ出演する羽目になったのだが、ある意味、それも見ものではあったのかも!?)

 池澤氏は、作家ゆえに文系だと思われがちなのだろうが、彼は埼玉大学理工学部物理学科に入学しているので
(ちなみに中退)、理系である(そもそも「理系/文系」の区別はナンセンスだが…)。そうしたバックグランドがあって、話は生物、そしてヒトのことから始まった。
Img_4518
 よく“進化”という言葉を使うが、池澤氏曰く、その多くは“変化”にすぎない場合が多いという。例えば、「ケータイが進化した」というのがそれにあたる。
 生物学上、“進化”といった場合、環境との関わりの中で淘汰されず生き残った場合のことを言い、そこで消滅してしまったものは“進化”はできなかったということになる。つまり、ただただ“変化”したものに対しては“進化”という言葉は使えない。

 この地球上で、ヒトほど生息域に広がりのある種はなく、普通、(微生物や菌類を除けば)個体数や棲む場所は限定されている。このヒト様の「繁栄」は、自分自身を変化させるのではなく、周りの環境を変えて適応してきた“文化戦略の成功”によるものだと池澤氏は指摘する。それは、個体の性質を変えてきた(本来の)生物の進化とは違う方法論なのだが、とりあえずのところ、それはまだうまくいっている。しかし、それはあくまで“とりあえずのところ”なのであって、池澤氏の話の節々には、すでにヒトは猛烈に終焉へと向かっていると警鐘を鳴らしていたように感じられた。

 非常に面白かったのは、縄文人と弥生人の比較である。
 縄文の人たちは、非常に遊びの時間が長かった。人口密度がそれほど高くなければ、少し歩けば食料にはありつけるのだから、無理する必要はない。それに比して、弥生人たちは、畑を所有することを選んだ。それは自分たちの生活を安定させる目的であって、効率よく、楽な生活をしようという彼らなりの幸福論だったにちがいない。しかし、結果は、食料の余剰ができ(生産過剰)、年寄りも生きていけるようになり(平均余命の伸び)、人口増加につながっていった。すると、ヒトはテリトリーの確保に忙しくなり、争いが絶えなくなっていく。
 弥生時代の遺跡からは、縄文時代のそれと比べて、やけに矢じりの発掘が多くなったという話の引用は、とても示唆に富んでいた。

 池澤氏の言葉を借りれば、ヒトは「ゆりかごから墓場まで消費者」なのである。都市の成立には必ず畑(農地)の所有があり、文明が滅びる要因には燃料の枯渇があった。
 彼が『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』
(「パレオマニア」とは“古代妄想狂”という彼自身が作った造語、と講演で言っていたと思う)という本の執筆のために世界各地を回り、文明のあれこれを見てきて、唯一、滅びていなかったもの。それは、狩猟採集を中心としたアボリジニーの人たちであって、物質に依存しなかった人たちだ。だから、彼らにウルル(エアーズ・ロック)はあってもピラミッドや万里の長城のような人工的な遺跡はなく、取材で写真を撮ろうにも被写体自体がなかったという話も皮肉である。

 ただ、アボリジニーの人たちが現代の消費社会に溺れてないと言いきれないことは、以前、オーストラリアを訪れた私にも分かっている。池澤氏も「昨晩、通った銀座のクリスマス・イルミネーションに背を向けることはできないだろう」と語っていた。「ただただ年寄りにできることは、使い切ってしまわないこと」とも話し、「次の世代はガラッと変わっているかもしれない」とやや希望的観測のもとにバトンが渡された。「そんな無責任な…」とも感じたが、池澤氏のみならず、誰もまだ明確な解は持ち得てないのだから、彼を責める資格はない。はっきり言えるのは、同じ過ちを万人が一様に繰り返し、まだ誰もその行動様式を変えることはできていないということなのだ。

 その解をDEARが一手に背負うというのは、あまりに任が重い。まずは、娘の暴飲暴食に歯止めをかけなくてはならぬ。解に至るには、きっと「隗より始めよ」ということなのだろう。
(あ、ダジャレで終わっちゃった…)
 

2011年11月 6日 (日)

パーム油をめぐって

 開発教育の実践者であれば「なにを今さら」と言われるほど至極当然のこととなっているが、皆さんはパームオイルと私たちの生活のつながりをご存知だろうか? そもそも「パームオイルって何?」ってぐらいの人もおられよう。

 ならば問いを変えよう。「ポテトチップス 洗剤 化粧品 チョコレート 石鹸 カップラーメン」 これらに共通するものは?
 ネタバレの問い方なので(タイトルにも明記しているし…)、答えを言うまでもなく、今回はパームオイルの話をしようと思う。


【写真左】機内から撮ったパームオイルのプランテーション。規則的に並ぶ農地がそれ。
【写真右】収穫されたアブラヤシの果実。この果肉からパーム油、種子からパーム核油が採れる。


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 先週土曜、仕事が終わった後にALPO(Alternative Look at Palm Oil)という学生団体の企画するイベントに顔を出した。今年の夏、マレーシア・サラワクに行ったのだが、私たちと同じルマ・パンジン村(ちなみに地名は“パンジンさんの村”という意味。村長の名前が由来なので、村長が変われば村名も変わる)にまで足を運んだということを聞き、物珍しさもあってのことだった。が、なんてことはない。私らも彼らも、単に同じコーディネーターA氏のお世話になっただけの話なのだ。今にも沈みそうな木製の小さなボートに1時間以上も揺られながら到達するあの僻地へ、たまたま行くなんて偶然はありえない。

 ALPOとはその名が示す通り、“
パームオイルを取り巻く社会問題へのアプローチを考える”学生団体だとのこと。
 イベントは、
パームオイルに関する基礎知識編(第1部)と現地視察報告(第2部)、そして彼ら自身が新たに感じてきた問題意識をベースとしたワークショップ(環境保護を謳うNGOとアブラヤシ農園を展開したい大企業経営者に分かれてのロールプレイ)の3部構成で行われた。
 第3部のワークショップでの議論も最終的にはそうなったし、
ALPO自身の現時点で到達した“答え”もそうであるらしいが、パーム油の問題は「どうしたらいいか分からない(答えはひとつではない)」。

 「スーパーで包装されているものの半分にパームオイルが使用されている」と言われるほど依存してしまっている私たちの生活において、もはやそれをなくす生活はできないし、現地の人たちも前より確実に生活の質が向上している現実がある。しかし、一方で、プランテーション農園の拡散が、甚だしい熱帯雨林の伐採、減少につながり、オラウータンの生息地を分断している。ジレンマや葛藤が多層多元に絡み合い、明快な解を見出すことはできなくなっている。
 ALPOの学生たちは「みんなで議論すればするほど分からなくなったが、そのことも含め、学生なりの発信をせめてもしていければと思います」と、帰り際、正直に語ってくれた。このイベントに参加したひとつの目的が、彼らはどんな解を持つことになったかを聞くことであったが、「どうしたらいいか分からなくなった」という解(それは外に向けての解ではなく、自分の内へ向けての解であったが)もアリだと思う。

 前回のブログでゼミ活動について触れたが、うちのゼミ生たちにもこうした学びが連鎖していくような取り組みをしてほしいものだと羨ましくさえなった。内容面での深まりに若干の物足りなさはあったものの、しっかりマネジメントされており、感心する。

 “学ぶ”とは、“自分を変化させ続けていくこと”と定義した教育学者がいたが、私も同感である。ALPOの学生たちは、まさにその途上にあるのだと思う。

 さて、一昨日、私は日帰りで大阪へ行った。行き先はヤシノミ洗剤で有名なサラヤである。今、パーム油をめぐるいくつかの動きを追っているのだが、詳しくは「次のブログで!」ということにする。

【参考】
■市民メディア「レアリゼ」
 2011年10月30日「学生団体ALPOのパームオイル・イベントに行ってきました」
 http://www.realiser.org/wordpress/?p=1276
※同じイベントに参加していた市民メディア・レアリゼの三沢氏と偶然帰り道が一緒で、このサイトを知ることになった。スポンサーの縛りなどから大手メディができなくなっていることをこうした市民メディアが野心的に取り組んでいる。ぜひ、応援したい。 

2010年2月 9日 (火)

「答え」のない授業(2)

 “「答え」のない授業”について改めて考えるきっかけとなったのは、「国際開発教育ファシリテーター養成コース」の修了生からのメールだった。もともと会社員であった彼は、奥さんのイギリスへの海外転勤を機に、会社を辞め、“専業主夫”として家事をサポートすることにした。そのかたわら、大学院へと入学し、国際政治経済学を専攻したのである。かねてより抱いていた「日本社会の今のぎくしゃくさがグローバリゼーションとなんらか関連があるのでは?」との引っ掛かりを解きたかったのだそうだ。
 その引っ掛かりが完全にはなくなってはいないだろうけども、メールでやり取りしていると、その端緒は間違いなくつかんでいるようである。しかもその端緒は、私たち開発教育実践者が見逃してきたもの、あるいは分かっていたけども踏み込んでこなかったところのものである。

 私のような教育畑の人間は、どうしても学校や公民館などの場が前提となる。しかし、彼のような会社員は常に実社会が現場である。
 誤解を恐れずに言えば、教育とは、例えば教室のような “仮想の場”をどれだけ現実の社会に近づけて思考していくかという実験場である。アフリカで飢餓にあえぐ人々や戦火を逃れて着の身着のまま難民キャンプに辿り着いた人々へ思いを馳せ、他人事をできる限り自分事へと意識変容させていけるかという試みであると言っていい。それが行動の変化へとつながることが最終的なねらいとして期待されるのだが、実際には「共感」するところでほとんどが満足してしまっている。それが時間的制約や発達段階のせいともされるが、その実状は認めざるを得ない。「今は種を撒いたばかりだから。きっとここでの学習が5年後、10年後には花開いてくれるはずだから」という常套句を口にしたくなるのは、「共感」に留まっていることへの自己弁護なのかもしれない。

 きっと、そこへのもどかしさからだろう。ある時、イギリスから「答えがない」ことへの“異議申し立て”のメールが届いた。

「私は“答えがないことを良しとする”という考え方には非常に賛成です。が、石川さんの中にさえ答えがないのではないか? もしくは答えを用意するつもりがないのではないか?という懸念を持っています。」

 痛いところを突かれた。
 当然、講義・ゼミであろうが、講師依頼を受けたセミナーであろうが、設定されたテーマに真摯に向き合ってきた自負はあるものの、私の実践がどこまで現実社会に迫り、行動に結びつく「答え」となっていたかは評価しづらい。「答え」を用意するつもりがなかったわけではもちろんないのだが…。
 
 食事時、こうした「大人の文通」の始終を妻へ話し、彼女自身の「答えのない授業」の話を聞くことにした。その時してくれたのは、「命の重み」をテーマにした授業で出生前診断のことを取り上げた時の話だった。(ちなみに妻は高校の家庭科教員です)
 「出生前診断を受けたいですか」との問いに高校生はややYESが多いものの、どのクラスでも意見が分かれる。おおよその理由はこうだ。

〈YES〉
・ 健康な子どもが欲しいから。自分の子どもは元気に育ってほしいから。
・ 障害を持った子を育てられるほど経済的に余裕はないと思う。
・ 生まれてくる赤ちゃんに苦しんでほしくない。
・ あらかじめ知ることは大切だ。生まれてくる子どもを育ててあげる覚悟をするために受けたい。
・ 産む前にいろいろ知ることができるし、安心感が持てる。

〈NO〉
・ 産まれるまで楽しみにしたい。
・ ありのままで生まれてきてほしい。
・ どんな子でも関係ない。どんな子でも自分の子ども。
・ 生まれる前から障害があると分かったら、一部の人は愛せないと思う。
・ 結果を知ったところでどうしようもない。

 これら生徒の意見に○も×もない。ただし、これらは感情的なものだったり、社会の一般認識をなぞるものであったり、場合によっては既存の偏見・差別意識に基づくものであったりする。あくまで自分の経験値の範疇にあるものにすぎない。
 授業では、そこから妻が様々な素材を提示し、生徒が吟味し、考え抜いていく。そうして、再度、現時点で精一杯の「答え」を出すのである。その過程は、自分の経験値に他のクラスメイトや素材の中の人物の経験値、つまり彼らの「答え」と重ねていく作業となる。それは、さっきまでの自分とは違う自分へと成長する過程と言えるものだ。

 しかし、そこで自分なりの「答え」が出せたことにきっと学習者は満足しない。「答え」をぶつけ合うプロセスでは、満足する前に新たな疑問が湧いてくるにちがいないのだ。私ひとりだけが「答え」を悶々と見つけようとしていたプロセスとは明らかに違い、「答え」群に潜む共通項がぼんやりと見えてくるだろうからだ。

 障害をもった子の育児が経済的に大変な社会とは?
 生まれてくる赤ちゃんが苦しんでしまう社会とは?
 生まれてくる子どもを育てるのに覚悟がいる社会とは?
 育児に安心感をもてない社会とは? etc 

 さてはて、自分が今生きている社会はどうもどこかおかしくないだろうか…。

 そこに気づいた時、出生前診断の是非を問うことが本質なのではなく、そこから見えてくる社会のあり方を問うことが本質であるのだということに思い至る。学習者たちは、また別の次元で同じラインに立ち、再度議論をスタートさせていくことになるだろう。本質を見極めることに限りなく近づいていくために。

 妻と話をしていて、私は私自身の考えをそう整理した。そして、私は「答え」を出すことを避けているのではなく、拙速に「答え」を出すことに違和感を覚えるのであって、「答え」のない授業こそ、丁寧に問題の本質に迫っていくための壮大な仕掛けなのだと捉えている。だから、「石川さんの中にさえ答えがないのではないか?」との投げかけには、例の常套句が口を衝く。

 「今は種を撒いたばかりだから」

 こんな煙に巻いた回答で、おそらくイギリスの専業主夫氏は納得しないだろう。それは逡巡にすぎないとすら思っているかもしれない。
 それでもいい。もうじき彼は帰国する。直接、彼と議論できるのが今から待ち遠しく思えてならない。

2010年2月 8日 (月)

「答え」のない授業(1)

 『道徳』には答えがあり、『倫理』には答えがない

 以前、そんなことを教材作成仲間が話してくれた。高校の社会科教員である彼は、「倫理」の授業の前、生徒たちへそのように説明するのだそうだ。自分の高校時代を思い起こすと、たしかに「愛とは何か」「生きるとはどういうことか」など、「倫理」の授業では哲学的な問いに向かうことが多かったなと、その説明はなかなか言い得て妙だと合点した。
 もちろん、「道徳」と「倫理」の辞書上の区別はそうではないが、小学校で受けてきた「道徳」のイメージが多分に影響してしまっているのだろう。どうも私たちは、善悪・正邪の二者択一で“いいこと”を選択し、それを教え込まれてきたという印象を拭いきれていない。それ故、冒頭の言葉はかなりの正当性を持っている。

 私が専門とする「開発教育」も、時に“答えのない教育”と言われる。参加型学習の手法を進めることの多いこの教育活動は、プロセスを重視するため、だいたいがオープンエンドで終わる。逆に言えば、「落としどころのない授業」とも受け取られ、現場では「締まりがない」と敬遠されてしまう。

 ますます複雑多様化する現代社会において、絶対唯一の「正答」を見つけることは難しい。というか、昨今のそういう状況を抜きにしても「正答」を見つけることは至難の業である。倫理の授業で習ったソクラテスやプラトンが生きた時代に抱かれたであろう問いは、
今に生きる私たちも未だ明確に答えることはできない。それが“至難の業”であることを裏付ける。
 そもそも「正答」とは存在するものなのだろうか? たとえそれがある一瞬においては「正答」だったとしても、それは常に批判的に検証されるべき「正答」であるのだと思う。だからこそ教育現場では「答えを出す」こと以上に「議論する」あるいは「思考する」プロセスに、より注力してほしいと思う。

 ただし、教育現場において答えを出す作業がナンセンスかと言えば、それは誤解である。無論、開発教育においても「答え」は出していくものなのである。

 開発教育は「答えを出さなくていい」といった消極的な教育活動では決してなく、むしろ「答えを出していく」積極的な教育活動であると自分は認識している。より正確に言えば、学習者が個々に「答えを持つ」教育であり、それをぶつけ合う教育活動であるのだと感じている。つまり、ファシリテーター(教師)が投げかける問いや仕掛け(アクティビティ)に対して、思い悩み、考え抜き、その過程で学習者はそれぞれに「答え」を持ち始める(たとえ、それが不十分な、曖昧模糊なものだったとしても)。その自分なりの「答え」を他の学習者と相互に共有しあう中で、それはさらに昇華した「答え」となっていく。

 矛盾した言い方だが、「正答」を求めて「答えのない」授業を繰り返し実践していく。その反復こそが、学習の深まりの源泉となっているのだと信じている。

【参考】
開発教育とは? http://www.dear.or.jp/de/index.html (開発教育協会HP内)