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教育

2014年2月15日 (土)

ケネディさん、もっと話を聴きたいんです!

 私のゼミでは、この春休み中、後期からの活動を継続させ、テーマを持ってグループワークに取り組んでもらっている。年度末の3月下旬には、とりあえず中間発表としてのプレゼンテーション合宿を2泊3日で予定している。
 あるグループは「犬猫の殺処分」問題を取り扱っている。これがゼミのテーマ「サステナビリティ(持続可能性)」とどう関係しているのかといえば、少し回りくどくなるがこういう図式になる。

 【持続可能な社会(生活)】 → 【持続可能であるということはみんなに幸福感があるから】 → 【でも犬猫は相当数、そしてずいぶんと呆気なく殺処分されてるらしい】 → 【つまり、ペットとしての動物たちが持続可能とは言えない】 → 【それって人間の社会が歪んでいるから?】 → 【ということは、現代社会は幸福感があるとは言えない?】 

 現在、日本で飼われている犬猫は推計2000万匹。そのうち、売れ残ったり、捨てられたりして年間16万匹が殺処分されているのだという。
 比して、ドイツの殺処分数はゼロ! ドイツでは、飼い主に「ペットを飼う資質」が問われ、ペットを飼うスペースを十分に確保する、飼い主はペットと交流し、しつけをきちんと与えるということが法的義務となっている。そして、イヌ税というのが課されており、ペットを飼うにはかなりの税金を払わなければならない
(2匹目以降はさらに課税料金が上がる。ただし、盲導犬や救助犬などは課税が免除されている)。そもそもドイツには殺処分場などというものはない。こうしたドイツの取り組みには、無責任な飼い主や悪質なペットショップ・ブリーダーを放置しないという背景がある。
 さすがに、ドイツの状況から見ると野放しな感じのある日本でもオークションで売れ残ったり、病気や障がいで競りにすら出品できない犬猫を引き取り、新たな飼い主探しやトリマー学校の教材犬として“第二の人生”を見つけるネットワークを作る活動も出てきている。

 これらはつまり「動物愛護」の問題である。以前、カナダでグローバル教育の第一人者ディヴィッド・セルビー氏のセミナーを受けた際、グローバルにモノを見るのであれば、人権(human rights)だけではなく、アニマル・ライツ(animal rights)へも思いを馳せるよう諭されたのが思い起こされる。

 昨今、キャロライン・ケネディ駐日大使がTwitterで「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」とつぶやいたことが論議を呼んでいるが、これもその“アニマル・ライツ”の思想に基づくものと言えるのだろうか。

 このつぶやきは、暗に
(でもないか)捕鯨の町であった和歌山県太知町のイルカ漁に向けられている。アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画「ザ・コーブ」の公開以降、海外からの太知町漁師たちへの風当たりは強くなっている(この件は4年前にブログでも取り上げたので、下記「参考」にアクセスしてみて下さい)
 これら非難の根拠のひとつは「やり方が残虐である」ということだが、非難する人たちが食べるであろう牛肉や豚肉だって、そのプロセスは“残虐”である
(映画「いのちの食べかた」をご覧いただければ一目瞭然である)。だから、このロジックはまるで成り立たない。

 そこで次に挙げられるのが、もうひとつの根拠、「クジラやイルカは“賢い”」というものだ。つまり「人間に近い動物だから」ということだ。科学者たちは、遺伝子レベルで本当そうなのかどうなのかという議論をしたがっているが、この問題においてそのことはそれほど重要ではない。「人間に近い」ということを論拠にすること自体が大きな問題なのだ。それを軸に話をする以上、それは動物たちの権利を守るというものではなく、あくまでヒト目線の人間中心主義に拠るものになるからである。

 しかし、そんな分かりやすいロジックで反論できるのに、賢いであろうキャロライン・ケネディ駐日大使が軽率にそうツイートするには、私ら一般市民には知り得ない何か力学でも働いているのだろうか? 彼女の主張をもっとじっくり140字以上で聴いてみたい。


【参考】
・朝日新聞2014年2月2日「売れなくても 生かす道 ペット業者がシェルター 競り、幼いほど人気」
・朝日新聞2014年2月12日「『賢いイルカ』は特別か 追い込み漁をめぐる問題 人間との『近さ』 権利論に発展」
・石川的徒然草2010年3月13日 「ザ・コーブ」受賞におもう http://daikichi-sun.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-92c7.html

2013年8月13日 (火)

ラダック訪問記②〜教育を施すジレンマ

 “教育を施す“ということは簡単ではない。それは、その子の未来を“操作する”ということになりかねないからだ。教育実践者であれば、なおのこと、そうした恐れを念頭に置いておかなければなるまい。

 到着初日に聞いた弁護士で社会活動家のオッツァル氏の話はとても皮肉なものだった。“教育を施す”ことがラダックの人たちをジレンマに陥れさせているというのだ。

 自分も親になってみて思うのだが、子どものためであれば何を犠牲にしても惜しいことはない。だから「よりよい教育」を与えてあげることは、親として義務以上のものとなり、さらにそれが社会一般的に「善」とされる故、時に呪縛とさえなってくる。
 開発の波が押し寄せるラダックでは、そうした親の思いはより増していっている。レーから車で2〜3時間かかるリクツェ村でさえ、村にある学校への就学率はほぼ100%で、10年生の進級試験に落ちる者が若干いるものの、ドロップアウトも基本的にはないという。おおよそが抱く途上国の教育事情の認識は改めなければならなくなってきている。

 しかし、結果的に「善」となっているかというとそうとも限らない。ラダックの人たちが陥るジレンマには3つある。

 1つ目のジレンマは、学校を出ても職にありつける保証がないということだ。最近のラダックでは(主にレーのことだと思われる)盗みが増えるなど物騒なことが多い。オッツァル氏によれば、その背景にあるのは学校を出ても職がないということが影響しているという。
 親たちが子に託す願いには、社会のニーズがそうやすやすとは応えてくれていないのだ。

 2つ目のジレンマは、畑や家畜の世話をするのはもとより子どもの役目であったが、それを担う者がいなくなってしまっていることである。こうした変化は「児童労働」という観点から良しとされるのだろうが、それは彼らのライフスタイルの急変であり、親がなんとか踏ん張っているという状況でもっている。それは時にImg_6101_2 (「三丁目の夕日」のように)美談とされるが、大変であることに違いはない。
 事実、村の教員たちにインタビューした際、「教科書は配布されるし、給食も出ているので、学校に通わせることは大変ではなくなっている」と口を揃えて回答したが、村でプロジェクトを展開するガイドで通訳のスカルマさんは、「少子化も重なり、畑や家畜の面倒がみられなくなってきている。これは大変なこと」と日本語で語ってくれた。

 3つ目のジレンマは、「より高い教育を」と親がラダックの外へ子をやることで“地域の教育”を受けられなくなっているという現実である。裏返せば、学校だけが教育を担う弊害が出ているということになる。
 オッツァル氏の言葉を借りれば、現在行われているのは「アカデミックな教育」で、それには限界があり、スピリチュアリティが廃れているというのだ。つまり、ここでも“学力”偏重の変えられない流れがあるというわけだ。これまではその部分を親や地域の大人がストーリーテリングを通して語り聞かせていたものが、すっかり抜け落ち、人としての育みが十分でないことをオッツァル氏は危惧している。そこで、彼は400人ものラダック出身学生を集めて泊まり込みのワークショップなどを開催し、その流れに抗っている。それは、親への敬いや社会への責任感、そして環境への配慮やサステイナブルな農業へのreconnect(再接続)を目的としている。

 これらのジレンマは“古き良き時代への懐古”とも受け取られかねないが、ラダックにおいてはそう安易につなげてはなるまい。そう見ることは、ラダックを“取り残された地域”と哀れみの目で見ることに過ぎず、別のアプローチを試みていると捉えるImg_5878 ことを阻害している。半周遅れだとラダックを見ている姿勢を、実は半周先を行っている我々の未来の姿として見る目を持たなくてはいけない。

 もちろん当のオッツァル氏は懐古になど浸ってはいない。彼は、アカデミックな教育と表現している従来の教育をオルタナティブな教育へとしていかなければならないと強調していた。オルタナティブな教育とした彼の目指すべき教育は、本を通して教室で行うものではなく、フィールドへ出かけて実践的なものにすること。そしてアカデミックだけではなく参加型で行うもの。誰かが1位になる教育ではなく、みんなが1位となれる教育のことである。そうした教育は「楽しいものなのか」「役に立つものなのか」と常に問い続けて検証し、心の中に閉まっていた学習者のfeelingをshareすることから始まるのだと彼は訴えた。

 それらは、奇しくも私たちが漠然と目指そうとしていたこととオーバーラップしてくる。彼はそれをいともたやすく言語化してくれ、私の腑に落ちた。それは、滞在初日にして「ラダックから学ぶ」という旅の目的を証明してくれた瞬間でもあったのだ。

※文中の写真は、リクツェ村のLiktsey High Schoolとラダックで最も有名な私立学校Lamdom Schoolの子どもたち

2013年8月 5日 (月)

ラダック訪問記①〜ラダック到着でまず考えたこと

 上海、デリーを経由して、インド・ラダックのレーに着いた。成田を出てから15〜6時間が経っている。
 泥色の長江河口にひしめく上海の工場群、柿色の灯りがあまねく広がるデリーの夜景。上空から見るレーの風景は、それらとはまるで違って“人の支配”が感じられない。緑のない荒涼とした山々は、日本で見るそれとは違い、自然の温かさではなく厳しさばかりが強調される。そこには抗わず、自ずと敬服せざるをえない優しい民がいるのだろうと、会う前から勝手な想像をした。
Img_5779_2
 上海、デリーと対置してみた印象は、
日の出とともに着いたのだから抱いたのかもしれないが、むしろそれは去年の今頃訪れたブータンの第一印象と重なってくる。あの時と同じように高峻な山間部をすり抜けるように着地した空港で最初に見たのは、冴え渡る青だった。あんな青をまた目にするのは、決して偶然ではないように思えた。

 レーは標高がおよそ3500m。つまり、富士山の山頂に突然降ろされたようなものなのだ。ガイドのスカルマさんからは「今日一日は高山病対策で、とにかくジッとしていて下さい。今いるZIKZIK GUEST HOUSEの敷地からは出ないように
Img_5801_3!」と門の方を指差しながら“戒厳令”が敷かれた。
 幸い、敷地には色とりどりの花で囲まれた小さな菜園と杏の樹の木陰があり、読書と昼寝にはもってこいである。出発前までに読み終えているはずだったヘレナ・ノーバーグ=ホッジの『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』を手に木陰の椅子に腰掛け、一章を読み終えるごとに午睡に落ちた。 夢うつつだからなのか、日本とまるで一緒のモンシロ
Img_5837チョウが無邪気に眼前を飛ぶ様は、小さな天使にすら見える。

 朝、ゲストハウスに到着してまず居間のようなところに通された。そこで供されたのは温かなチャイと塩っ気のあるバター茶。旅疲れの体には何よりのチャージになる。
 少し落ち着くと、このタイミングを見計らっていたのか、どこからともなくゲストハウスのおじいさんが現れた
(写真右がおじいさん、左はガイドのスカルマさん)。深く刻まれた皺が印象を年寄りに見せるが、歳を聞けば58歳というのだから日本の感覚では“おじいさん”と呼ぶにはまだ早い。 事実、参加者には彼より年上の男性が2名おり、年齢を聞いて小さなショックを受けていた(笑)。Img_5795_2 自然の厳しさか、生活の厳しさか、これまで私が会ってきた人たち同様(モンゴルのゲルでお世話になった男性、フィリピンのゴミ山で細々と暮らす母、ブータンの寺院で礼拝する女性たち、etc)、途上国と言われる国々に住まう人たちは、自分の感覚以上に老けて見える。それはなにも否定的に言っているのではなく、私たちとは違う思想の深さを持っているのではないかと思わせるのだ。

 そのおじいさんとは、ラダックの人たちの生活についての話になった。
 ここレーにおいては夏は観光業で忙しくなるのだそうだが、盛況なのは5〜9月ぐらいまで。それ以降になれば、ラダックには厳しい冬が訪れ、観光客はもちろん途絶えてしまう。農作業も夏季がすべてである。
 そうなれば、「じゃ、冬は何をしているのですか?」という質問が口を衝く。すると、「もちろん、なにもしないさ」とおじいさん。スカルマさんは、“もちろん”とは通訳でつけはしなかったが、私にはそれがついていたかのような返答に聞こえた。そして「だから、どうしたんだ?」とでも言いたげのようにも聞こえたのだ。

 その場面を反芻しつつ、夢うつつの中で少し物思いに耽る。こういう時間の流れ方って、ただただいいなぁ、と。そして、こんな時間、久しく持っていなかったなぁ、と。

 上海とデリーとレーの風景を重ね合わせても思ったが、“人間らしく”とはどういうことなのだろうか。人として生まれてきたのであれば、“人らしく生きる”というのが至高のものとシンプルに目指していいのではないか。では、その“人間らしく”とは何かと言えば、少なくとも自分をはじめとする「現代人」と称される人たちが行っているものではないのではないか…。
 きっと、現代における“人間らしさ”というものを再定義しなくては、私のその主張は正当性を得られないのだろうが、それでも人が人として本質的に求めるものがそんなに変わっているとは思えない。
 問題は、時代だけが好き勝手な方向に進んでいく中で、その“人間らしさ”をどう求めていけるか(取り戻していけるか)なのだと思う。実は、日本でもブータンでもラダックでも同じ問いを今それぞれに抱えていて、答えられないでいる。

 だからこそ、あがくようにブータンへもラダックへもわざわざ向かってみる。

 一日の最後には、「戒厳令」の中で唯一の
オフィシャルプログラムとして、地元で弁護士をしつつ社会活動をしているオッツァル・ウンドゥスさんの話を聞いた。Img_5833
 彼の話を聞いて思ったのは、ユートピアとして見られるようなラダックやブータンでさえ特別ではなく、抱える問題までがグローバリゼーションという波で均一化されてしまっているのではないかということだった。特に、「教育」を子どもたちに施していくことのジレンマは、シニカルに彼らを覆っていく。

 その話は、次のブログへと持ち越すことにする。今日はこれから高校を訪問し、授業を見て、生徒や教員たちと語らい、こちらも授業実践をさせてもらう。そうした交流の中で、オッツァル氏が語ったラダックの今を重ね合わせ、教育をテーマに語りたいと思っている。

p.s. ただし、今晩は尼寺に泊まり、明日以降は村で3泊ホームステイをするので、おそらくブログの更新は期待できません。それまでに原稿を書き溜めておきます!

2013年8月 2日 (金)

バカ者は「きっと、うまくいく」と念ず

 久々にインド映画を観に行った。実は、明日からインドに旅立つから、という理由もないわけではないが、沢木耕太郎の文章(下記「参考」参照)を読んで、観たくなったのだ。余談だが、私が彼の文章を好きということもあるのだろうが、彼が朝日新聞に掲載している映画紹介コラム「銀の街から」を読むと、ほぼその映画を観たくなってしまう。
 
 映画『きっと、うまくいく』は、もともと妻と行くつもりだったが、うまく調整がつかず、どうしようかと思っていたところ、ゼミ生が私の“趣味”に付き合ってくれることになった
(ちなみに、男子学生2名)。アクの強いインド映画は、まさに趣味の範疇と言うしかない。
 が、学生たちはそもそも
(私がお勧めする映画なんぞ)期待していなかったようで「結構面白かったっすよ」とそれが意外だったかのように観賞後の感想を語っていた。

 そうなのだ、これは私が知っているインド映画とは少々趣きを違えている。私たちが知っているインド映画は、90年代に一世を風靡した『ムトゥ 踊るマハラジャ』に代表されるように、歌あり、踊りありのとことんエンターテイメント性重視のものだ。ストーリー(脚本)で“語る”ものではなく、ただただ面白さ、楽しさを“見せる(魅せる)”ものなのだ。だから、インドの人たちは映画館で喝采や罵声をスクリーンに浴びさせ、一緒に歌い、踊る。そういう意味で、インドの映画は我々の映画とは一線を画しており、映画館という場だってまるで違う様相で、別の意味合いで成立している。

 たしかに
自分が渋谷で『ムトゥ 踊るマハラジャ』を観た時は、一緒に歌い踊ることさえなかったものの、スクリーンに向かって突っ込みを入れるささやきが其処此処で聞こえ、それを互いに許し合ってる鷹揚さがあり、観賞後は一斉に大きな拍手が巻き起こった。そんな光景を見るのは日本の映画館では初めてで、とても不思議な一体感に包まれたのを覚えている。おそらくその場にいた多くの人がインド映画初体験のはずで、その映画の力に魅了、圧倒されて、場がインド化されたに違いなかった。もう15年も前のことである。

 しかし、『きっとうまくいく』は必ずしもその法則には則っていなかった。だから、私がインド映画に抱く印象とゼミ生がインド映画に抱く印象には、決定的な差がある。彼らにとっては、これがインド映画初体験なのだ。そもそも「
スピルバーグが3回も観た!あのブラピも泣いた!」なんてのが、映画の売り文句になっているのだから、隔世の感がある。ボリウッドがハリウッドを凌駕するなんてことは想像だにしなかった。
 きっとそれはそのままインドや中国などの新興国に抱くイメージの我々世代と学生たちとの桁外れな格差につながっているのだろう。
(事実、最近はインドでもシネコンが増え、昔ながらの映画館は見向きもされなくなっているともいう)

 とはいえ、私自身も映画自体は非常に楽しんだ。3時間弱という長さもそうは感じなかったし、必ずと言っていいほど、鑑賞中、一度は居眠りしてしまうのが、今回はまるでなかった
(これは、映画が面白い面白くないに限らず私にある現象。これを“ビョーキ”と主張しているのだが、だれもそうは認めてくれない)。図らずも3〜4回(ブラピ同様)泣いてもしまったし。劇場がほぼ満席で、ゼミ生たちと隣り合わせの席にならなかったのは幸いした。
 時折、ベタな感じのところもあったのだが、それがまたいいのだろう。ボリウッドらしさがなければ、ボリウッドがハリウッドを凌駕したのではなく、単にグローバリゼーションの波に覆われただけの話なのだ。

 言葉自体が自己矛盾しているのだが、“ベタ”という俗語は「ありきたり」という意味でありながら、それは現実にはあまり起こらないことのほうが多い。好きになったのが目の敵にされている校長の娘だったなんて、映画のストーリーとしてはベタだが、実際にはまずない。

 ただ、この映画の評価すべきは「ベタこそサイコー!」と密かに哲学的に埋め込んでいるところではないかと思う。それは、主人公であるランチョーの生き方、考え方そのものであり、タイトル「きっと、うまくいく」という箴言に表されてもいる。
 換言すれば、“一般社会”というまやかしに埋もれて、“ベタ”という当たり前が当たり前でないほうに追いやられてしまったものを自分たちの中に取り戻そうよ、という映画なのだ。ランチョーはそれをただただシンプルに貫いている。24

 映画は、日本にも通ずる学歴社会への批判をコミカルに描いている。その点で、教育映画と言えなくもない。だから、自分にも重ね合わせて観たのだが、「戦争のない世界を!」「差別のない社会を!」と胡散臭く、青臭くも思われるベタなフレーズを大まじめで実現しようとする教員でありたいと思った。その信念をこの映画は後押ししてくれた。

 映画の原題は"3 idiots"(3バカトリオ)。自分もバカ者だとののしられようと、「きっと、うまくいく」と念じて、学生たちと付き合っていきたいと、観賞直後、改めて誓った。そこに一緒に観たゼミ生たちの「結構面白かったっすよ」という感想が重なってきたのだった。10年後、20年後に彼らと再会した時にそんな言葉をかけられるゼミであればいいと念じている。

〈付記〉
明日からインドのラダックというところへ行ってきます。映画のラストシーンは、そのラダックのあまりに美しいパンゴン湖で撮られていたようです。今回、残念ながらそこは訪れないのですが、昨年のブータン同様、できるだけデイリーでブログを更新したいと思っています。ただ、インターネット環境がこの上なくよくないそうなので、できる範囲で試みますね。


【参考】
◆映画『きっと、うまくいく』 http://bollywood-4.com/kitto.html

◆朝日新聞デジタル 2013年6月6日
 沢木耕太郎『銀の街から』 「きっとうまくいく」友の謎追い 美しき世界へ
 http://www.asahi.com/and_M/interest/theater/TKY201306050289.html

※同じインド映画で『スタンリーのお弁当箱』も気になっている。
 http://stanley-cinema.com/

2013年6月30日 (日)

奨学金の苦悩

 先日、母から「奨学金返済の振込が郵便局でできないから、そっちでやってくれないか」との電話があった。昨今、オレオレ詐欺(最近は「振り込め詐欺」でもなく「母さん助けて詐欺」って言うんでしたっけ?)の影響で、10万円以上の振込が本人でないとできない、ということらしいのだ。

 非常に恥ずかしいのだが、その電話で私が大学時代に借りていた奨学金の返済を母がしていたのだと初めて知った。このブログを読めば、なんて能天気で、親不孝な奴だと思われよう。そのそしりは免れえない。ただ、言い訳が許されるのであれば、都の難病指定患者となっていた私は、申請さえすれば、毎期、学費免除となっていて、奨学金もそうした手続きがなされ、勝手に「返済免除」になったと思っていた節がある。
 今思えば、どうしてそんな思い込みをしてきたのか不思議に思うのだが、昔から「うちは貧乏だから」と母親に吹き込まれてきたのが少なからず影響しているようにも感じる。“貧乏”は、最終的にはいつも救いの手が伸びてきて、なにかが免除されたり、優遇されたりするような気がしてたのだ。

 それにしてもだ。自分の無神経さにも呆れるが、学生時代に借りていたお金の返済が40歳を超えた今でも続いていたことに驚きを覚えた。
 大学生の頃、4年間に借りたお金を返していくとなるとたしかにかなりの年数がかかるなと計算したことはあったが、その時はあまり(というか全く)切実に思わず、「みんなも借りてるんだから、どうにかなることなんだよな」と漠としてしか思っていなかった。それが、奨学金を借りていた学生の一般的な捉え方だったろうと思う。

 電話を受けた翌日、ちょうど紙面に奨学金関連の記事が載っていた。
 都内に住む25歳の女性は「金額を知った時、何で自分は大学に行ったんだろうと後悔しました」と思ったのだそうだ。日本学生支援機構から届いた通知書には、返済すべき金額が900万円と書かれていて、それはまさに就職直後に背負った“借金”そのものであるからだ。

 日本のGDPに占める教育費の割合は、他のOECD諸国と比較すると、非常に低く、31位の最下位である。特に高等教育に限れば、その比率はさらに開き、OECD平均の半分にもならない。おそらく、これは欧米諸国であれば、大学生に対する様々な学費補助・免除の制度が間接直接にあるのだと思うが、それが日本は十分ではない。その差ではないかと思うのだ。


 最近では、著名大学の講義がインターネットで見られるようになり、途上国と言われる国の子どもたちが、そうした大学に実際に入学するケースもあるという。つまり、教育機会の格差というのは世界レベルでは縮まり始めている。もし、このままの状況でいるのであれば、頭脳流出を心配する以上に、可能性を開くことができなかった日本人を国内に氾濫させることを危惧せねばなるまい。

 生活保護不正受給問題で、「
最終的にはいつも救いの手が伸びてきて、なにかが免除されたり、優遇されたりする」と私が書いたことは、幻想に過ぎず、それをいっそう社会が許さなくなってきている。
 世知辛い社会だと、やはり私は思ってしまう。

【参考】
朝日新聞デジタル 2013年6月28日
「奨学金よりよいあり方は 文科省検討会、拡充へ中間案」
http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201306270487.html

朝日新聞デジタル 2013年3月16日
教育費支出「OECD並み目指す」 中教審答申案に明記
http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY201303160245.html

2013年4月 1日 (月)

うそではなく

 今日をもって少しだけ偉くなった。辞令交付式があり、助教という位から准教授という位へと上がったのだ。

 “昇進”ということにはこれまであまり関心がなく、そこへの貪欲さは無きに等しかったから、大学の教員としては“出世街道まっしぐら”というルートを辿ってきたわけではない。40過ぎ(あと1週間ほどで42歳)で准教授になるというのは決して早いほうではないのだろう(そんな統計を見たことないので、あくまで印象だが)。ただ、これまで「助教」というまるで認知のない肩書きを説明するのが七面倒くさかったので、そこからの脱却がうれしくはある。たいがいは「助教授」と混同され、公の場で「石川助教授!」と華々しく紹介されたこともあるし、義母にも「大ちゃん、助教授になったのね」とお祝いの言葉をかけてもらったこともある。その度に「助教はその下の位なんです…」と内心つぶやき、肩身の狭い思いをしていた。(2007年の学校教育法の一部改正で「助教授」という呼称は廃止されている。それに相当するのが今は「准教授」であって、その下に位置する職階を「助教」と呼ぶようになっている)

 「偉くなった」とも書いたが、それはあくまで世間一般の目であって、私のやることに大きな変化があるわけではない。昇進自体は私自身の仕事の質にはなんら影響しない。だから、“昇進”というものにまるで興味が湧かなかったの
かもしれない(但し、“昇給”には関心あるかも(笑))。
 それでも、今回の昇進に関しては、とても面倒をかけたにも関わらず、温かい手を差し伸べてくれた方が周りに何人かいらっしゃり、その方々へのお礼という意味においては、今日の晴れの日を素直に祝いたいと思う。

 週末土曜日には、昨年初めて出した卒業生たち(つまり、石川ゼミ1期生)と久々に再会し、飲んだ。どこで会うか、誰が来るか、ぎりぎりまではっきりしなかったので、勝手な提案を私のほうからさせてもらい、大学院生時代にバイトしていた武蔵小金井にある寿司屋で飲むことにした。学生時代であれば、「2,000円で飲み放題付き」という何を食べさせられるのか非常にスリリングなお店ばかりだったので、“社会人らしい”付き合いもいいと思ったから

 とはいえ、会えば1年前とそうは変わっていない。スーツ姿で会えば、雰囲気も違ったのだろうが、まだ学生のようにも思える。ただ、変わっていないというのも悪くはな
く、幸せなことなのかもしれない。
 そ
でも口ばかりは達者になってい。「営業で、、、」とか「売上が、、、」とか会話の中に出てくると、さすがに社会に揉まれているのだとも気づかされる。

 なかには、偉そうに「いや〜、学生の時に先生に言ってもらった言葉の意味が、今はすごくよく分かりますよ〜」と話す輩もいる。しかし、当の本人は何を話したか、まるで覚えていない。そこで「え、どんな言葉をかけたっけ?」と聞くと、「あ、そう言われると具体的にすぐ思い出せないんですが…」と苦笑し、口を濁
 ま、
調子を合わすのも大人の作法にちがいない事実、大したことを言っていなかったのだろうし。
 Img_5214

 さぁ、新年度を迎え、心機一転したくもあるが、これまで通り、私は私の仕事を誠実にしていこうと思っている。准教授になろうとも、学生たちとの学びは連綿と連なっているのだから。

 最後に。
 4月1日ではありますが、昇格の話はウソではありませんので、悪しからず。

※右写真は高尾駅近く、高楽寺の枝垂れ桜(321日撮影)

2013年3月23日 (土)

人生の楽しみ方

 春の陽気が気持ちいい。こんな日は山仕事をするに限る。

 なんて、いかにもいつもやっていそうな言い様だが、あくまで「たねの森」の紙さん
(変わった名前で、最初、“神さん”かと思っていたらPaperのほうの紙で二度ビックリ!)に誘われてのことである。紙さんとは、飯能・日高のお母さんたちが中心に始めた自主保育グループ「ポノポノ」の、いわばパパさん組」つながりである。
 ポノポノ
(ハワイの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」に由来するネーミング)の子どもたちはたくましい。昨年春に始まったポノポノでは、毎日のように山を登り、川で水遊びをしていたら、おそらく同じ年齢の子どもたちよりも1.5倍は体力がついたのではないかと感じられる。うちの2歳の娘も1〜2歳上のお兄さん、お姉さんたちに必死についていったら、大人でも這うようにして登らねばならない山道をいつのまにやら「抱っこ、抱っこ」と言わずに登り切るようになっていた。

 昨日は、子どもたちが歩き慣れた山道に物足りなくなっているであろうから、パパ組が始動して、新たな山道開拓となった。Img_5218
 朝、「森の果樹園」と呼んでいるポノポノの“屋外保育園”に集合
近所に住んでいる紙さんがすでに見当をつけてくれていた新たな山道の下草を刈り、枝を伐ち、倒木を脇にけるのが昨日のタスクであった。
 作業自体は1時間強で終わってしまったが
、紙さんからこの時季食べられるという野萱草の生えている場所を教えてもらって道端で採り、彼の家の畑でありったけの菜の花を摘み、朝産みたての鶏卵まで4個ももらうと、お腹がすく頃合いになっていた
 春の陽気が気持ちよかったのは、彼の優しさのせいかもしれな
かった。

 春の陽気に浮かれたウキウキは夜まで続く。
 最近の私の密かな楽しみは、夕食当番の時にお酒をチビチビやりながら、料理をすること。言うなればキッチンドランカーと
いうやつである。昨日は、メインの菜Img_5233 の花パスタに取りかかる前に、まずは酒の肴の仕込みである。さっそく採ってきた野萱草をさっと湯がき、酢みそで和えて、チビリチビリ。こうしてエンジンがかかれば、申し分ない。

 最近では、この行為に娘も付き合う。夕食の手伝いと
称してしていることは「つまみ食い」と「内緒、内緒」。それは、私から彼女への最初の“指導”であって「人生の楽しみ方」のことである。営業職の先輩が新入社員への“教育”として「まず、休憩の取り方を教えてやる」と真っ先に喫茶店に連れて行くのとそれは似ている!?
 とにかく、ちょっとだけ正規を外す「つまみぐい」と「内緒、内緒」は至福の喜びであることを教えなくてはいけない。Img_5230 当たり前に生きていては幸福感を増幅はできないのだ。「いただきます」の前につまみぐいする美味しさと、それをに内緒でこっそりすることでその美味しさが増すことは今から知っておくべきなのだ。娘が飲んでいるのは水にぎないが(右写真)、このしたり顔はかなり様になっているではないか! うちの娘はなかなか筋がいい(笑)。

 ちなみ
に、育児の方針の相違で家庭不和になることは避けねばならないので、最後の最後にはバラしてしまう(というか大概バレている?)。せっかく作った菜の花パスタを後ろめたさなく頂くには、そういう着地点も致し方ない。パスタを頬張りながら、人生の酸いも甘いも感じてのもいいだろう。

Img_5239
 実は今日は卒業式だった。卒業生を送るのはこれで2度目。つまり、石川ゼミ2期生たちの卒業式だった。
 
彼らにはこれまでどれだけの「人生の楽しみ方」を教示してこられたであろうか。些か不安もあるが、むしろ、社会に出た彼らとこれから「人生の楽しみ方」をともに教え合うというのも楽しみではないか。“大人”としての彼らとの付き合いたった今スタートしたばかりである。

19

2013年2月26日 (火)

大人に虹は見えているか?

 昨日の朝の食卓でのお話し。

 
一昨日、妻は知人らとの昼食会へ行ってきた。その知人のひとりが、過日、小学校の入学説明会に参加してきたが、かなり幻滅して帰ってきたのだという。どうもその学校の教頭がいただけない、と。

 
説明会で主に説明をしてたいのはその教頭で、親御さんたちからの質疑に関しても受け答えをしていた。そこで「分度器やコンパスはみんな一緒のもの(新品)を買い揃えてもらいます」との説明があったので、あるお母さんが「お兄ちゃんが使っていたものがあるので、おさがりでもいいでしょうか?」と尋ねたらしい。当然である。その場にいたら、私もきっとそう聞いていただろう。祖母からのDNAで、私にはMOTTAINAI精神が染み付いている。

 しかし、教頭の回答は、「いいえ、同じものを買ってください」
だった。理由は「いじめの対象になるので」なんだそうだ。

 これは、
子どもへの配慮のつもりか? 誰に対する気遣いか?

 そもそもこれだけ環境問題への意識が成熟してきた中、「おさがりを認めない」と断言するのは時代錯誤でナンセンス
。空き缶が道端にポンポン捨てられ、車内喫煙も当たり前で、「環境問題」と言えば、水俣病や四日市ぜんそくなど公害のことで、どこか他人事にしていた時代とは違う。消費が美徳とされた私たちの子ども時代であれば、たしかに“おさがり”は羞恥そのものでイジメの対象になったかもしれない。(ただ、おさがりは“日常茶飯事”だったから、実際にはそれでイジメ になるこはまずなかったが)

 
参加していた妻の知人もその質問をしたお母さんに対し、「もちろん、いいですよ。モノの大事さをそうした姿勢でも伝えてあげたいですね(学校でも家庭でも)」との回答が贈られるものと思いきやまるで逆の反応だったので、幻滅したのだった。
 そして、その幻滅の理由は、環境問題に対するセンス以上に、いじめの捉え方の根本的な齟齬にこそあり、その回答のなんとも頼りなさげなところだったのではないだろうか。きっと、心中、「ダメだ、こりゃ…」と吐息まじりに呟いたに違いない。

 同じ道具を揃えて、差(別)をなくすというのは、もちろん
問題が発生する確率を下げるという点において一つの策は違いないが、最も安易な方法で、消極的な解決に過ぎない。元より、そうして“ない”とされイジメは、根本的には解決されておらず、潜在しているわけだ。だから、今後、教室外に飛び出していった子どもたちは、イジメと同じ構造の問題に遭遇した時、まるで認識できないか、よくてもやり過ごすことぐらいしかできない。あるいは、問題を引き起こす方にすらなりかねない。
 安易に対処するという点においては、桜宮高校の体罰問題やAKB48の丸刈り事件
もそうで、そと同じに匂う“文化”を醸成してしまっているように思えてならない。

 要は、前段の教頭が考慮していたのは、子どもたちではなく、あくまで教師サイドの都合である。教師であれば、子どもたちの間にある「差」をどう見えなくするかという“対処”をするのではなく、どのように見つめ、寛容していくかということを一緒に問い、その姿勢を育む“教育”をしていくべきではないか
 
とどのつまり教頭の言うことは職務放棄に値する。

 食卓を囲みながら、妻は最近読んだ本の話もしてくれた。そんな風に子どもを育てられたらいいね、と。

 女の子には小さなハゲがあった。その子の親はハゲのことを「見られたら恥ずかしいから隠しなさい」とも「かわいそう」とも言わず、ただただ「ここには髪がはえてこなくなっちゃ
たねとだけ話していた。
 ある時、校庭で遊んでいると、強い風が彼女の
を巻き上げ、みんなに一瞬ハゲが見えてしまった。周りの男の子たちが「ハゲ、ハゲ!」とはやし立てつつ寄ってくると、その子は「そうなんだ、ここにはハゲがあって髪の毛が生えなくなっちゃったんだ」と平然と答えた。するとはやし立てていた子たちは、彼女のハゲをひとしきり見ると、また一様に前の遊びに戻っていった。

 その女の子が使っていたのは古めかしい筆入れだった。それはおじいちゃんが使っていた形見で、母から譲り受けた代物。きっと母親はその子に譲るいかにそれが大切なものか教えてあげていたことだろう
 そんな古ぼったい筆入れに当て付けるが如く、教室ではピカピカ新品のペンケースを持っていた子が「いいだろう」とこれ見よがしに自慢し始めた
。それをどうこう言うでもなく、女の子「これもいいでしょ。おじいちゃんが使っていた筆入れなのよ。自分も大事に使って、自分の子にもあげようと思ってるの」と話した。それを聞くとペンケースの子は「すげぇ…」とだけボソッと呟、あとは何も言わなくなったという。

 私たちは、知らず知らずに今ある“文化”を強固にしていっている。そこに親や教師たちのジャッジ(先入観)が多分に影響を与えていることにはあまり気づいていない。

 娘が先日、「オトナは虹を描けないよね」と私が虹を描いてあげた後にそう言った。
 子どもたちには、私たちに見えているように虹は見えていない。
大人はそれを肝に銘じるべきである。

 


2013年2月21日 (木)

富士の霊力も借りながら

 ここ数年、まわりがやたら幼く見える。それは私が“オトナ”であるというのではなく、単に老けたから、という理由なのだが(きっと)

 とりわけ、それは
制服を着ている人たちに顕著である。駅員さんや郵便局員、はたま警察官までがそう見えて、時に制服に負けている(着られている)”感じがしてならない。新入生が入学式で初めてスーツを着た時のような、あんな感じに見えるのだまるで不釣り合いなその着こなしに「今、就業体験中ですか?」とも聞きたくなる。

 ただ、それもそのはず本厄を終えようとしている私は、ほぼ(日本人の)平均寿命の半分なのだから、人生の折り返し地点を通過している。単純に考えて、私の目に入ってくる多くは年下になってしまっているのである。
 だから、「幼く見える」というのは、私の
思い込みではなく、まさに事実そのもので、ただの現象に過ぎない。

 今、山中湖での2泊3日のゼミ合宿を終え、学生たちより一足先に帰路につく高速バスに乗り込んだ。
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その湖畔を朝にジョギングしてみたが、富士山は何とも言えぬ霊力があるように感じ、ここで合宿する意味を認識する。ただし、ゼミ生たちは宿の窓越しには富士を見ものの、おそらく誰一人としてここまでは足を運ばず、彼ら山中湖畔に立つことなく帰途につくのだろう。どこまで富士の霊力をいただけたかは疑問符である。(写真左は2/20朝、右は2/21朝)
 

 さて、昨晩、風呂に入ろうとすると他大学の学生が4人、すでに湯船に浸かっていた。そこに割り込んで、会話をなにげに聞いていたのだが(ごめんなさい)それが非常に滑稽だった。

 「な、○○、お前って
、毎日、シェーバーでヒゲ剃ってんの?」「え、それってどんな感じ?」 (と、「なんかすげぇなぁ。俺たちはシェーバー使ったことないし」「そもそもヒゲあんまり剃らないし」との声色で)

 「いや、毎日は剃らないよ」
(と、「そんなにヒゲなんて生えてこないし」といったニュアンスで)

 
「いつか毎朝剃るようになるかな」(と顎をさすりながら、社会人になったらそうでもなるかの如く、希望を込めて…)

 たまたまヒゲの濃くない学生たちが仲良くなっただけなのかもしれないが(そんな理由では友達にはならないだろうけど)、中学生か高校生の会話に思えて、微笑ましいというより可笑しくて噴き出しそうだった。
 そして、それ以上に親目線になっている自分にも笑えてしまった。

 私のゼミ生たちは、もう客観的には見られないので、逆にそこまで幼く見えはしないのだが、まだまだ彼らも成長の途上にあるのは間違いない。合宿中、褒めもしたが叱りもした。
平気で失敗をやらかすのだが、それは青春の特権である。彼らに可能性が存分に拓けているのは羨ましくもある。

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 行きは、仕事の関係上、夜遅くの合流となり、ひとりで宿に向かった。
 山中湖方面のバスは次第に
乗客がいなくなり、最後は私と運転手の2人だけになった。それでも健気に車内放送するものだから、運転手に「もう終点まで降りないので、停留所ごとに降りるかどうか確認しなくてもいいですよ」と肩越しに話しかけた。たまたま運転手席の真後ろが私の予約席だったので、最後の分はその運転手と会話することなった。

 「どんなお仕事をされてるのですか?
」と訊くので、「大学の教員なんです」と答えると、意外にも「私も先生になりたかっんですよ」と言う。車を運転するのが好きなので、今の仕事も充実していますよ、とも言うが、どうも少し未練あるようだった。ただ、もうそこに後戻りするわけにいかことは百も承知で、生真面目なその運転手は今の自分への矜持も忘れていないようにも見えた。

 人生は一筋縄にはいかないから、制御し難い自分の「外」を変えようとするよりは、それを受け入れる自分の「中」のしなやかさがむしろ大事だと思える。だから、ゼミ生たちへ(時に理不尽に)降り掛かる彼らの人生を受け入れもし、それを“自分のもの”としていける器を今からつくっておいてもらいたいと願う

 合宿では、そんなスパイスを振りか
ておいたつもりだが、果たして、みんな、気づいてくれただろうか
  

2012年12月20日 (木)

良い逸脱:Positive Deviance

 火曜日は恒例のゼミ忘年会。今週で担当する授業はすべて年内最後となり、教員も学生も気分は冬休みモードに入りつつある。だから、羽目を外す様子もこの日ばかりは大目にみたい

 年忘れには、あえて普段の自分から遠ざかり、自ずと相対化して自分を見つめる作用があるように思う。普段の立ち位置でなく、“逸脱”させるからこそのことであるそうすることで内省したり、新たな一面を(自分や他者に)見たりし、次の年の活力へと転化しているにちがいないのだ。

 がゼミで“変なオトナたち”に出会わせることをポリシーにしているのも、もしかするとそんな意味があってのことだったのかもしれない。当たり前”をずらして見る癖をつけさせたくてそうしてきたが、ある時、半分冗談ではあるが「先生、今度はフツーのサラリーマンに会わせてくれませんか」とゼミ生にも言われ、あまりに偏屈に育ててきてしまったかと自省する…。
 ぼやぼやとそんな
風に思いを巡らせていたら、忘年会は終わっていた。気づけば「では、我らが石川先生から今年一年の総括のお言葉を!」とどこのタイミングでも振られることまるでなく、一言も挨拶せずにお開きとなった。ゼミの先生は崇拝されるもの、という通常の認識から逸脱しているのは、この私の指導法のおかげなのだとこの皮肉な状況を無理に納得させ、帰路についた。

 年内最後のゼミの前週、商学部の長尾先生と熊本大学の河村先生の協力を得て、「開発コミュニケーションワークショップ」と題した公開ゼミを開催した。アメリカからDr.Arvind Singhalを招聘していて、せっかくの機会
だからと声をかけて下さったのだ。
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 Arvind Singhal氏はEntertainment Educationの第一人者であり、Positive Devianceという概念着目している研究者である。Positive Devianceという耳慣れない言葉をあたかも私が熟知しているかのように書いているが、長尾先生に紹介を受けるまで全く聞いたことがない言葉だった。しかし、その概念が記すところの問題へのアプローチの仕方は非常に興味深い。
 とても
訳しづらい英語であるが、「良い逸脱」「実用的な例外」「参考にすべき逸脱者」などの日本語に置き換えられる。このアンビバレントな表現で表さざるをえないこと自体が私には魅力的に思えるのだが、端的には「問題を生じさせたのと同じ意識のもとでは、問題の解決はありえない。私たちが学ばねばならないのは、世界の新たな見方である。」というアインシュタインの言葉に集約されるのかな、とも思う。

 私たちがおおよそ行う問題解決は、
問題の原因を追及し、そこを一生懸命に改善しようとするプロセスだ。時にベストプラクティスと言われるような事例を持ち出し、それを当てはめようとしたりもする。しかし、そうした外から持ってきた解決策は得てしてうまくいかない。そもそも複雑多様化した社会において問題をパーフェクトに把握すること自体が難しいのだから、そうしたプロセスで解決策を見出そうとしても本質をつくことはなかなかできない。
 そこで、解決策を作り出していこうとするのではなく、実は社会の中にすでにある解決策を見つけ出していこうというのがPositive Devianceの考え方となる。こういう時代には、クラスの優等生よりも浮いた奴のほうが的確に問題を捉えたるするもので、そこに注目しようというのがPositive Devianceなのだ。

 よく例えに出されるのは、Save the Children
によるベトナムやマリでの栄養失調改善プログラムの事例だ。貧困に苛まれている地域にも関わらず、「非常に貧しい家庭であるのに、栄養状態のいい子どもはいますか」と尋ねると、時々「いますよ」との返事が返ってくる。これこそ、「貧困=低栄養」という常識を覆す“良い逸脱”のサンプルである。その“良い逸脱”となる家庭にヒアリングしてみると、「普通の家庭では捨ててしまう芋の蔓(カロチンや鉄分が豊富)を食べていた」「間食をさせていた(ベトナムでは1日2食が通常だった)「食べる前に手を洗わせていた」などという共通点が浮かび上がってくる。こうして挙がってきたものが、問題解決に向けた糸口になっていく。しかも大事なのは、これら解決策は決して特別なことではなく、誰でもアクセス可能なものであるという点である。

 
ワークショップでArvind Singhal氏は"What is question?"よりも"What is working?"という問いのほうに力点を置いていた。そこには、解決策はコミュニティの中にこそあるという信念めいたものを感じさせられた。
 彼の話で特に印象に残っているのは、マザー・テレサのエピソードだ。渡米して訪問したワシントンD.C.で「是非、反戦を訴える行進に一緒に参加してもらえませんか」と声をかけられた際、彼女はそれに対しノー」と返した。そして、「反戦のため(against war)には私は行進しません。ただし、平和のために(for peace)、というのであれば私はそれに参加します」と言い添えたのだそうだ。このエピソードをArvind Singhal氏が持ち出したのは、against(否定的)の姿勢ではなく、for(肯定的)の姿勢でできる限り向き合いたいということだったのだろう。
 それは、以前、私が水俣を訪れた時に出会った地元学の
「ないものねだりではなく、あるモノ探しをしよう」という思想とどこか似ていて、自分や自分の場に可能性を見出す姿勢に共感を覚えた。

 Arvind Singhal氏には、ワークショップ前、顔合わせも兼ね、私の研究室に来てもらった。畳敷きにしている私の研究室に入るなり、「日本の教授はみんなこんな研究室なのか?」「なんで畳を敷いているんだ?」「これにはどういう効果がある?」と立て続けに質問を浴びせてきた。もちろん「こんな風にしているのは私ぐらいなもんです」答え、「このほうがゼミ生たちがくつろげて、きっとクリエイティブにもなれるでしょ。四角い机がきれいに並べられていたら、それだけで来たくなくなっちゃうでしょ」と“効果”らしきことを言い返してみた。すると、彼は「これこそPositive Devianceだ!」と言ってくれ、ワークショップ中も何度も(しつこいぐらいに(笑))「カズヨシの研究室はPositive Devianceなんだ」と紹介してくれた。

 ただ、こういう空間で育まれるのは“良い逸脱”の
精神であると同時に、恩師に一言も発言をさせず、敬意を払うことすら忘れる不躾さでもあるので用心せねばならぬとも思ったのだった。
 
否、そんなしみったれたこと言わずに、それも年忘れとすることにしよう。

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【参考】
河村洋子, Arvind Singhal 「社会の中の『良い逸脱』:Positive Deviance」 『熊本大学政策研究』 2012年3月

リチャード・タナー・パスカル, ジェリー・スターリン 「脱トップダウンの変革手法 ポジティブ・デビアンス:『片隅の成功者』から変革は始まる」 『ハーバード・ビジネス・レビュー』(2005年9月号 特集「ファシリテーター型リーダーシップ」 ダイヤモンド社