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持続可能性

2014年8月 5日 (火)

スリランカ訪問記その3〜サルボダヤ

 コロンボ市内をバスでまわっていると"BUDDHIST TV"という看板が目に入る(ちなみに"BUDDHIST RADIO"もあった)。ガイドのサラットさんによれば、このチャンネルが結構スリランカの若者に視聴されていて、瞑想し“マジメな生活”を送ろうという人が増えているのだという。
 日本で最近の若者たちを揶揄して「さとり世代」なんて呼んでいるが
(←私は揶揄などせず、逆に彼らのライフスタイルに可能性を感じるが)、スリランカの若者たちこそ、正真正銘の「悟り世代」にあたるのではないか(笑)。

 研修3日目(実質2日目)は、サルボダヤを訪ねた。
 このスリランカ研修を企画した自分としては、このサルボダヤ訪問は目玉のひとつであった。それほどまでに入れ込むのは、自分が「開発援助」というものに興味を持ち出した90年代、少なくともこの分野に携わる者たちにとって、当時はそれなりのインパクトをもってサルボダヤが語られていたと思う。それは、先進国が押し付ける「開発」が一向に功を奏すことがなく、そこへ“途上国発”の開発のあり方として輝いて見えた思想・運動だったからであろう。「依存」ではなく「自立」を促す人間中心の思想には、なにか根本を触れられるようで、大いに可能性が感じられたのである。
 しかし、ここ最近、日本ではあまり聞かなくなっていた。

 「サルボダヤは今はどうなっているのだろう?」

 そこに触れるのが今回の研修の目的のひとつだった。それは、開発のあり方の行く末を見通すことになるとも思ったからだ。

 一教師であったアリヤラトネ氏が、1958年、学生たちを貧しい地域に連れて行き、シュラマダーナ(労働の分かち合い)キャンプを始めたことがサルボダヤの発端である。

 サンスクリット語である“サルボダヤ”はもともと「労働の分かち合いを通した人々の覚醒」という意味で、「
開発、平和、さらには精神的な覚醒(目覚め・気づき)に統合的、ホリスティックにアプローチするユニークな自助組織」Sarvodayaの日本語ページより引用)である。
 つまり、物質と精神のバランスのとれた開発を目指すのがサルボダヤの哲学で、仏教的な価値観をもとに、貧しさも過度の豊かさもない自立した社会を理想としている。

 しかし、今回訪れて、その思想哲学のダイナミズムをあまり感じることはできなかった。Img_8709
 それはひとえに私たちの訪問が限られた時間で、かつ現場を訪れず、本部での説明と一部事業の現場(孤児の支援)を見たにすぎないからだということは重々承知している。事実、重要な会議があるにもかかわらず、我々の到着を待ってくださった国際部門のトップBandula氏は「できれば数週間滞在し、現場にも出向いて見てほしい」と懇願されていた。

 きっとそうなのであろう。それが正しい訪問にちがいない。
 しかし、それでもスリランカにおけるサルボダヤのインパクトが弱まっているのは事実のようなのだ。Bandula氏を引き継いだ若手スタッフの話では、国内でのサルボダヤの事業数も認知も減少しており、予算が減少していることが大きく影響しているとのこと。
 以前は輝きを放っていたサルボダヤの開発哲学に、西欧諸国の援助団体から多額の資金が入ってきた故、西欧的な効率性重視のあり方に変わらざるを得なくなっていった。そういう批判が実は20年前からあった。昨今、陰りがあるという噂も聞く。
 それでも「NGOの役割はまだある」と若手スタッフは力強く答えてくれた。

 たしかに、役割はまだまだある。アリヤラトネ博士の思想哲学も今こそ肝に命ずべきだとも感じる。
 半世紀以上も前に始まったサルボダヤ・シュラマダーナ運動に、もし陰りが見えたというのであれば、それは“浸透”したという結果の表れなのかもしれない。サルボダヤが語ってきたことは、今の開発現場で普通に語られる「サステナビリティ」や「レジリアンス」といった言葉などに置き換えられていっているようにも思う。

 ただ、大きな問題は、概念として浸透しても、やはり具現化は未だされていないということだ。
 サルボダヤが新鮮さを失ったというのであれば、それは当たり前のものになったのだとむしろ歓迎すべきことである。しかし、だからこそ、NGOを見る眼差しは変化している。その変化している眼差しにどう応えていくか、新しい境地に立たされているのだ。

 Bandula氏が向かった“重要な会議”とは、全国から1600人ものサルボダヤのリーダーたちがコロンボに集まって「これからの10年」を喧々囂々するものらしい。どう新しい境地を切り開いていこうとするのか、その会議での決議が気になるところだ。

 サルボダヤの精神は普遍のものとして、21世紀にも根付いていくものなのだろうか。今の若者たちにも引き継がれていくものなのだろうか。
 その答えはもう少し先のことになる。

※下写真はサルボダヤのメディテーションセンター

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2014年8月 4日 (月)

スリランカ訪問記その2〜NGOアプカス(APCAS)訪問

 実質、研修初日の昨日(8/3)、手始めに(お決まりで!?)コロンボ市内観光から。

 街の風景や訪れた寺院から感じるのは、まさにカオス。スリランカ全体でみれば、圧倒的にシンハラ人が多いのだが、ここコロンボに限れば、Img_8664_2 その不均衡は弱まる。仏教徒が多いことには変わりないが、ムスリムもヒンドゥーも相当数見かける。寺院にいたっては、仏教寺にヒンドゥーの神も祀られているなんとこともある。それらを拝むことで“他宗教の神々にも功徳を与える”のだそうだ。そうした行為は、寛容なのか、敬意を払っているのか、はたまた横柄なおせっかいなのか、まるで計りかねるが、そのごちゃ混ぜ感こそがスリランカなのである。
 お堂の中の仏像たちが、ミケランジェロが教会に描いた宗教画のように見えるのは
(右写真)、そのせいなのだと思いたくもなる。

 実は、市内観光の前にAPCASというNGOを訪れた。着いた翌日が日曜日だったため、どこも休みで予定が立てられなかったのだが、快く訪問を受け入れてくれたのがAPCASだったのだ
(ありがたい!)

 APCAS(アプカス)という響きから、それが日本のNGOだとはあまり察しがつかないだろう。それもそのはず
(と言っていいのか)、アプカスというのはアイヌ語で、「歩く」という意味であり、スリランカの人々はじめ国内外の周縁化された人たちと“ともに歩く”という思いが込められている。
 ちなみに、APCASとはAction for Peace, Capability and Sustainabilityの頭文字をとったものでもある。2004年に起きたスマトラ沖地震による大津波の被災者支援を契機に活動が始まり、2008 年1月にNPO法人格を取得している。

 アイヌ語にこだわるのにはワケがある。APCASの事務所は北海道函館市にあるのだ。「あえて東京ではなく、地方からの発信にこだわった」と話してくれたのは、今回の訪問で私どもの対応にあたってくださった
(奇しくも私と同じ)石川直人氏だった。それは、NGOが乱立している東京よりは注目度が高くなるとImg_8649いう戦略的な意味合いに加え、周縁化された人々を取り巻く問題に取り組んでいくというAPCASのポリシーとも合致する。

 私たちが訪れたのは、
視覚障がい者の雇用促進として事業展開しているマッサージサロン「Thusare(トゥサーレ)」である。「トゥサーレ」もアイヌ語からとったもので「癒す」という意味になる。マッサージサロンとしてはうってつけの店名である。
 しかし、こうした事業ひとつとっても異国の地で活動するのは一筋縄にはいかない。石川氏が語るところによれば、そこには「障がい者へのバリア」と「“マッサージ”という言葉のバリア」が横たわっていたという。

 日本では、視覚障がい者の職業として、真っ先にマッサージ師が浮かぶ。それほど当たり前の選択肢として日本では保証されている感があるが
(ただし、最近では無資格の“セラピスト”がいる格安マッサージ店が増えてきて、有資格者の視覚障がい者の雇用がだいぶ侵されているとも聞く)、スリランカではそうではない。障がい者は、社会の構成員として職を担う対象とはなっておらず、手を差し伸べる憐れみの対象として見られている。
 石川氏が訓練後の雇用創出のため、営業に出向き、話をすると、それが障がい者のことだと分かった瞬間からオーナーの表情が曇り始めるらしい。「うちは雰囲気を大事にする店だから」という全く失礼な理由を述べて。
 そもそも障がい者自身も「パウゥ」という言葉をとにかく多用するとも石川氏は嘆いていた。「パウゥ」とはシンハラ語で“かわいそう”という言葉で、とにかく小さな頃から周りからそう言われ続け、憐れまれるのが当然と自分自身で思ってしまっているのだそうだ。

 また、言葉の問題も厄介である。スリランカで“マッサージ”と言えば、それはあらかた性的なものを意味する。
 「マッサージ店を開業するので、物件を探している」と不動産屋に行けば、眉をひそめて断られ続け、100件近くも回って見つけたのが今の物件だとのこと
(それもうまく言い回しを工夫しながら、やっとのこと成約に漕ぎ着け…)
 この物件、少々家賃が高くてもあえて富裕層の多いコロンボ7区にしたのだそうだ。それを家賃が半分になるからと、隣りの区
(日本で言う歌舞伎町のようなところか)で借りてしまうと、結局、“性的”なイメージを払拭するのはかなり難しくなる。「7区にある」ということで、そのイメージからの脱却と店のブランディング、そしてワーカーの自尊感情の回復が図れるとの戦略がある。

 石川氏の話は予定の時間を大幅に過ぎ、ランチタイムにまで食い込んでしまった。それでもなお質疑応答が続いたのは、彼の話に“未来”が見えるからである。話の其処此処にビジョンと戦略がクリアに見える。日本のNGOの助成金頼みな脆弱性に触れ、しきりに「APCASの支援活動のいくつかをソーシャルビジネス化していきたい」と話していた。

 日本にNGOが台頭するようになって
(その時期を70年代後半と仮定すれば)40年近く経ち、今、日本のNGOは岐路に立たされており、向かうべき先を探しもがいているように思う。
 石川氏も同様にもがいているにはちがいないのだが、そこに突破口を開いてくれるのではないかと勝手に期待する。入り交じるカオスのこの国であれば、そんなブレイクスルーが起こる気がするのだ。

 まずは、スリランカでの(実質)1日目が終わり、旅がここから始まる。



【追記】
Img_8652_2  石川氏のお話の後、お試しで参加者何人かがマッサージを受けさせてもらった。さっそく長旅の疲れを癒してもらい、恍惚とした表情を全員がしていたということは、APCASの雇用促進訓練と彼らの腕に間違いナシ!ということですね。

2014年2月15日 (土)

ケネディさん、もっと話を聴きたいんです!

 私のゼミでは、この春休み中、後期からの活動を継続させ、テーマを持ってグループワークに取り組んでもらっている。年度末の3月下旬には、とりあえず中間発表としてのプレゼンテーション合宿を2泊3日で予定している。
 あるグループは「犬猫の殺処分」問題を取り扱っている。これがゼミのテーマ「サステナビリティ(持続可能性)」とどう関係しているのかといえば、少し回りくどくなるがこういう図式になる。

 【持続可能な社会(生活)】 → 【持続可能であるということはみんなに幸福感があるから】 → 【でも犬猫は相当数、そしてずいぶんと呆気なく殺処分されてるらしい】 → 【つまり、ペットとしての動物たちが持続可能とは言えない】 → 【それって人間の社会が歪んでいるから?】 → 【ということは、現代社会は幸福感があるとは言えない?】 

 現在、日本で飼われている犬猫は推計2000万匹。そのうち、売れ残ったり、捨てられたりして年間16万匹が殺処分されているのだという。
 比して、ドイツの殺処分数はゼロ! ドイツでは、飼い主に「ペットを飼う資質」が問われ、ペットを飼うスペースを十分に確保する、飼い主はペットと交流し、しつけをきちんと与えるということが法的義務となっている。そして、イヌ税というのが課されており、ペットを飼うにはかなりの税金を払わなければならない
(2匹目以降はさらに課税料金が上がる。ただし、盲導犬や救助犬などは課税が免除されている)。そもそもドイツには殺処分場などというものはない。こうしたドイツの取り組みには、無責任な飼い主や悪質なペットショップ・ブリーダーを放置しないという背景がある。
 さすがに、ドイツの状況から見ると野放しな感じのある日本でもオークションで売れ残ったり、病気や障がいで競りにすら出品できない犬猫を引き取り、新たな飼い主探しやトリマー学校の教材犬として“第二の人生”を見つけるネットワークを作る活動も出てきている。

 これらはつまり「動物愛護」の問題である。以前、カナダでグローバル教育の第一人者ディヴィッド・セルビー氏のセミナーを受けた際、グローバルにモノを見るのであれば、人権(human rights)だけではなく、アニマル・ライツ(animal rights)へも思いを馳せるよう諭されたのが思い起こされる。

 昨今、キャロライン・ケネディ駐日大使がTwitterで「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」とつぶやいたことが論議を呼んでいるが、これもその“アニマル・ライツ”の思想に基づくものと言えるのだろうか。

 このつぶやきは、暗に
(でもないか)捕鯨の町であった和歌山県太知町のイルカ漁に向けられている。アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画「ザ・コーブ」の公開以降、海外からの太知町漁師たちへの風当たりは強くなっている(この件は4年前にブログでも取り上げたので、下記「参考」にアクセスしてみて下さい)
 これら非難の根拠のひとつは「やり方が残虐である」ということだが、非難する人たちが食べるであろう牛肉や豚肉だって、そのプロセスは“残虐”である
(映画「いのちの食べかた」をご覧いただければ一目瞭然である)。だから、このロジックはまるで成り立たない。

 そこで次に挙げられるのが、もうひとつの根拠、「クジラやイルカは“賢い”」というものだ。つまり「人間に近い動物だから」ということだ。科学者たちは、遺伝子レベルで本当そうなのかどうなのかという議論をしたがっているが、この問題においてそのことはそれほど重要ではない。「人間に近い」ということを論拠にすること自体が大きな問題なのだ。それを軸に話をする以上、それは動物たちの権利を守るというものではなく、あくまでヒト目線の人間中心主義に拠るものになるからである。

 しかし、そんな分かりやすいロジックで反論できるのに、賢いであろうキャロライン・ケネディ駐日大使が軽率にそうツイートするには、私ら一般市民には知り得ない何か力学でも働いているのだろうか? 彼女の主張をもっとじっくり140字以上で聴いてみたい。


【参考】
・朝日新聞2014年2月2日「売れなくても 生かす道 ペット業者がシェルター 競り、幼いほど人気」
・朝日新聞2014年2月12日「『賢いイルカ』は特別か 追い込み漁をめぐる問題 人間との『近さ』 権利論に発展」
・石川的徒然草2010年3月13日 「ザ・コーブ」受賞におもう http://daikichi-sun.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-92c7.html

2013年12月29日 (日)

ラダック訪問記⑦〜グローバリゼーション

 今回の研修はグローバリゼーションと開発の問題を考えにきたと言っていい。それは「観光」ではきっと分からないのだろうから、僕らは悪あがきに「スタディツアー」と銘打ってなんとか答えに辿り着きたいと思っていた。そういう点で、レーから車で何時間も揺られ、リクツェ村で4日間のホームステイをしたことの意味はある。
 ただ、彼らと
(わずか4日間ではあるが)寝食を共にして感じたのは、グローバリゼーションの波に侵されているような、いないような…といったつかみどころのものなのではあるが。

 興味深かったのは、リクツェ村滞在最後の夜に村の人が総出で集まってくれて、男性グループ、女性グループ、若者グループ、そして我々の四者でディスカッションをしたことである。Img_6300

 「今一番欲しいものは?」と問えば、女性たちは「お金!」と遠慮なく言い、「だって教育費にお金がかかるし、旦那は収入がないし(笑)」と笑い飛ばす。一方、男性たちは「お互い助け合いでやっているので、お金は必要ない」と言い張る。でも少し間を置き、「でも、これからはお金が必要になってくるかも…」とも言い加えた。
 若者は率直に「車、パソコン」と答えた。

 「いろいろ社会が変化していく中で、これから家族の関係はどうなっていくのだろう?」という疑問には、意外にも若者が口火を切って「今のままであってほしい」と言い、大人たちは「いや、崩れているだろう」と案じる。それでも若者は「いやいや、そうなってほしくはない。どうなるかは自分たちの手中にある」とも力強く言った。そんな宣言ともとれる若者の決意めいた言葉を尻目に、女性たちが「でも私たちゃ、もう生きてないね」とやはり笑い飛ばして、最後、持っていってしまう。

 この時間の結論。グローバリゼーションの行き着く先は“女性の時代”ということである(笑)。

 途中、「東京のように時間に追われる生活をどう思うか?」という問いも参加者から投げられた。「時間どおりに事が運ぶ日本のほうがいいと思う」と真剣な顔をして話してくれたが、そもそもこのディスカッション、数時間も遅れて始まった。そのことを突っ込むと、「それは言わないで下さい」と村の人たちは苦笑い。
 たしかに、畑仕事が手間取ったのが主な理由なので責めるつもりは毛頭ないのだけど、道路工事には遅れないで行っているとのこと。

 前にブログでも少し触れたが、ここは経済的な発展に伴い、中心地レーから舗装された道路が延びようとしてるところであるとともに、地政学上も非常に重要な経路となっており、政策的に道路建設が行われているのである。移動中、何度も道路工事の場面に出くわしたのはそのせいだ。

 その道路工事には村人たちも駆り出され、彼らの今の生活を支える大きな収入源となっている。そのことは、もろもろに彼らの生活へ影響を及ぼしてもいる。
 ディスカッションの中では「8時に迎えにくる車には遅れないで行っている。遅れたら給料から割り引かれるから」と話していた。また、今まで心配することのなかった泥棒が出るかもしれないということで「鍵をかけるようになるかも」とも話していた。人の行き来も増えるから、これ好機と「
畑をもっと開拓して、稼ぎたい」と言い、「でもマーケットがないからそういう場も欲しい」と惜しげに話してもいた。
 彼らの心中は微妙に揺れ始めている。

 朝のジョギング中に見つけた岩肌にあった落書きにはこう書かれていた。

 "LADAKH IS THE PRIDE OF OUR COUNTRY"

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 ガイドのスカルマさんに聞けば、これは落書きではなく、日本で言うところの国交省のようなところが描いた標識みたいなものらしいが、それでもラダックの人たちの心情そのものでもあると思う。それはいろいろな意味で。

 彼らは決して自分たちのことを“インド人”とは言わず“ラダッキー”なのだと言う。
 ホームステイ先にあったカレンダーを覗いたら8月15日のところに"Independence Day"とあったので、「この日は村でお祭りでもするの?」と聞いたら、「何もしないよ」と素っ気なく答えられた。18年前に訪れたインド・カルナタカ州の村では盛大なお祭りをしていたのに、だ。

 道路や家の建設でネパールから出稼ぎに来ている人ほどガツガツ働きはしない様Img_6078子を「どうしてか?」と聞けば、「ラダッキーはLazy
(怠惰)だから」と彼らを横目に言う。(左写真は、出稼ぎのネパール人たちが建てているホームステイ先の新居)
 これは、昨年言ったブータンでも全く一緒で、出稼ぎの人たちに対して自分たちをLazyと
謙遜であるのか言っていた。それは自分たちのこれまでの生き方を曲げたくないというプライドでもあるように私には聞こえた。

 だから、あの岩肌にあった言葉はラダックの豊かな自然資源を謳ったものではあるのだろうが、私には複雑に、そして意味深げに映ったのだった。
 
 ラダックを後にして、乗り換えのデリーのホテルでおもむろにテレビをつけるとCNNのニュースが流れていた。奇しくもそこではラダックの道路建設のことを特Img_6474集しており、見覚えのある風景をバックにレポーターが話している。
 その特集のタイトルは"Road woes in Ladack" 
 意訳すれば「延伸する道路がもたらすラダックの苦悩」といったところか。

 その道はどこへ続いていくのだろうか…。

 ラダックの未来は僕たちの未来とも重なるのだと思うと、その道がどこに繋がるのか、他人事とは言っていられないのだろう。

【参考】
JICA's World 2013年7月号 「太陽光で自然に優しい生活を」(NPO法人 ジュレー・ラダック)
http://www.jica.go.jp/publication/j-world/1307/ku57pq00001f7taf-att/04.pdf
※ラダックでは、ジュレーラダックの協力のもと、新しい開発のあり方として自然エネルギーの利用も進められている。

2013年12月27日 (金)

ラダック訪問記⑥〜伝統文化

Img_5974_4  前回ブログは携帯を手にする尼僧の話で終わった。たしかに街に下れば、道路沿いに通信会社とおぼしき会社の店舗や看板がやたら目につく(ラダックでは右写真のair telという会社が特に目立った)。この傾向は一昨年行ったアフリカ・ウガンダでも変わらない。
 今、グローバリゼーションの波が押し寄せないところは地球上にはないのだと思う。

 例の尼僧とガイドのスカルマ氏を介して少し話をしてみた。
 「この生活はどう?」と聞くと、「スキッポ(幸福)」と即座に返事が返ってきた。すぐには解せず「どうして?」と立て続けに聞くと、「(宗教の)教えを学べるから。苦からも逃れられるし。そして生きとし生けるもののためになれる」とこれまた考える風でもなく間髪入れずに返答があった。きっとそれは常に頭の中に留め置かれていることで、彼女が尼僧になろうと決断した理由でもあったのだと思う。

 彼女たち尼僧の言動には「宇宙に幸せはない、永久な幸せはない」という
思想が根底にある。だから、日常にはびこる苦から逃れるために尼僧になるのだ。規則正しい(と言えば聞こえがいいが“まるで変わりのない”)生活が何年も続くことは我々にとって苦行にも思えるが、彼女らにしてみれば幸せになる一方法であり、極めて合理的な決断だったのだ。
 スカルマさんの話によれば、尼僧になる子は近年増えていて、その背景には社会にストレスが増えていることがあるのだろうということだった。前近代的にも見える尼僧たちの生き方は、実は現代のトレンドであったのだ。

 それでもラダックにはしっかりと伝統は根付いたままにもなっている。特に、シャーマンやオンポ(占星術師)の存在が未だあり、それらが煙たがれるものではなく、生活やコミュニティの一部として位置づけられていることは、
貴重である(と我々は思ってしまう)
 現代のあり方を“通常”としている我々日本人旅行者ご一行は、その“非日常”が摩訶不思議にも思え、「もし彼らの生活を乱すことにならないのであれば、一度会ってみたいのだが…」と遠慮がちにスカルマ氏に聞いてみたら、すんなりと「アレンジしましょう」と言ってくれた。あまりの呆気なさに、私たちが警戒する以前に、そこに垣根を設けることのほうがおかしな話なのだと気づかされた。シャーマンにせよ、オンポにせよ、彼らの範疇は時空を超えた宇宙なのだから。要は、彼らの前に立つ我々が彼らの存在に敬意を払えるかどうかだけなのだ。

※下写真の左は、リクツェ村のシャーマンとその啓示を受けるツアー参加者。脇でコーヒーカップを持っているのはガイドのスカルマさん。かなり真剣にやってもらっている空気の横でくつろぐスカルマさん(ラダック出身)。そのコントラストが日常的であることの証左か!?
右はオンポの家でみんなの悩み事を占ってくれている様子。祭壇にはダライ・ラマ法王の写真が掲げられていた。


Img_6156 Img_6247
  
 とはいえ、ツアー参加者から出たものの大半は、恋人ができるかとか、結婚生活がうまくいくかとか、次期選挙で当選するか
(参加者のひとりに地方議会議員がいました)など。なんとも俗っぽいこと、極まりない(笑)。
 ただ面白かったのは、占う前に「いやぁ、年上はダメでしょ」「お金を積めば問題ないよ」などと個人的な意見が挟まれたこと。その俗っぽさは日本人以上だった。

 こうした矛盾やカオスは最高である。やっぱりラダックは面白い!

2013年12月25日 (水)

ラダック訪問記⑤〜尼寺にて

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 結構、今の職業を気に入っている。理由は生活のリズムが“不規則”だからだ。

 そもそも大学の教員などというものは偏屈な個人店主がやる自営業のようなもので堅気の職業とは言えない。それでも講義があるから、それなりにリズムがあるのだが、その講義も年内は先週で終了し、とりわけ今は自由業気取りである。

 昨日は娘の迎えもあってのことだが、3時過ぎに帰宅しようとすると、車中は朝とはまるで違う風景となり、終業式を終えたのであろうか、閑散とした車内に浮かれ騒ぐ女子高生たちの声が響く。電車から降りれば、漂う空気も届く光も「いつもと違う」と一瞬にして体感された。それらは人の速度と比例して作られるようでもあり、そうしたメリハリを体は時々欲しているのではないかとも感じるのだ。だから、こんな時の駅から家までの数分は至極幸せな時間になる。

  しかし、あの子たちは違った。まるで逆のことで幸せを感じている。
 今夏訪れたラダックでは一晩だけ尼寺に泊まらせてもらった。そこで出会った尼僧たちの一日は決まり事に“支配”されている。そして、それが何年も繰り返されていくのだ。
 
見れば、小学校低学年ほどの年齢の子もおり、ということは、ほぼ一生、この極めて規則的な生活が続いていくことになる。
(※下記写真:朝起きてまず顔を洗い、歯を磨く。この後、中で五体投地や読経が行われた)

Img_5928  Img_5932 Img_5930

 
でもそれが不幸せなことだとは感じていない。彼女たちは幸せになるための手段として尼僧になることを決めたのだ(「決めさせられた」のかもしれないけれど)
 僕たちは“変化すること”を幸せだと思い、彼女たちは“変化しないこと”を幸せだと思っている
(「幸せ」の言葉を「自己実現」に置き換えてもいい)。生き方とは実に多様で、時に真逆にさえなるのだと彼女らに教わった。だから前回のブログで書いたことに引き続き)「イキル」の意味がますます分からなくなる。

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 そんなことを想っていると、目の前の尼僧がおもむろに裾から携帯を取り出し、誰かに電話をかけている。これで「イキル」がからっきし分からなくなった…(笑)。

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 こんなコントラスト、矛盾、混沌があるからラダックの今は面白い!

※現地でアップできず、こんな年の瀬までまとめるのを延ばしてしまったので、一年のまとめと反省を兼ねて、「ラダック訪問記」の続きをどうにか年内に書き切ろうと(は)思っています。
 

2013年8月 5日 (月)

ラダック訪問記①〜ラダック到着でまず考えたこと

 上海、デリーを経由して、インド・ラダックのレーに着いた。成田を出てから15〜6時間が経っている。
 泥色の長江河口にひしめく上海の工場群、柿色の灯りがあまねく広がるデリーの夜景。上空から見るレーの風景は、それらとはまるで違って“人の支配”が感じられない。緑のない荒涼とした山々は、日本で見るそれとは違い、自然の温かさではなく厳しさばかりが強調される。そこには抗わず、自ずと敬服せざるをえない優しい民がいるのだろうと、会う前から勝手な想像をした。
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 上海、デリーと対置してみた印象は、
日の出とともに着いたのだから抱いたのかもしれないが、むしろそれは去年の今頃訪れたブータンの第一印象と重なってくる。あの時と同じように高峻な山間部をすり抜けるように着地した空港で最初に見たのは、冴え渡る青だった。あんな青をまた目にするのは、決して偶然ではないように思えた。

 レーは標高がおよそ3500m。つまり、富士山の山頂に突然降ろされたようなものなのだ。ガイドのスカルマさんからは「今日一日は高山病対策で、とにかくジッとしていて下さい。今いるZIKZIK GUEST HOUSEの敷地からは出ないように
Img_5801_3!」と門の方を指差しながら“戒厳令”が敷かれた。
 幸い、敷地には色とりどりの花で囲まれた小さな菜園と杏の樹の木陰があり、読書と昼寝にはもってこいである。出発前までに読み終えているはずだったヘレナ・ノーバーグ=ホッジの『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』を手に木陰の椅子に腰掛け、一章を読み終えるごとに午睡に落ちた。 夢うつつだからなのか、日本とまるで一緒のモンシロ
Img_5837チョウが無邪気に眼前を飛ぶ様は、小さな天使にすら見える。

 朝、ゲストハウスに到着してまず居間のようなところに通された。そこで供されたのは温かなチャイと塩っ気のあるバター茶。旅疲れの体には何よりのチャージになる。
 少し落ち着くと、このタイミングを見計らっていたのか、どこからともなくゲストハウスのおじいさんが現れた
(写真右がおじいさん、左はガイドのスカルマさん)。深く刻まれた皺が印象を年寄りに見せるが、歳を聞けば58歳というのだから日本の感覚では“おじいさん”と呼ぶにはまだ早い。 事実、参加者には彼より年上の男性が2名おり、年齢を聞いて小さなショックを受けていた(笑)。Img_5795_2 自然の厳しさか、生活の厳しさか、これまで私が会ってきた人たち同様(モンゴルのゲルでお世話になった男性、フィリピンのゴミ山で細々と暮らす母、ブータンの寺院で礼拝する女性たち、etc)、途上国と言われる国々に住まう人たちは、自分の感覚以上に老けて見える。それはなにも否定的に言っているのではなく、私たちとは違う思想の深さを持っているのではないかと思わせるのだ。

 そのおじいさんとは、ラダックの人たちの生活についての話になった。
 ここレーにおいては夏は観光業で忙しくなるのだそうだが、盛況なのは5〜9月ぐらいまで。それ以降になれば、ラダックには厳しい冬が訪れ、観光客はもちろん途絶えてしまう。農作業も夏季がすべてである。
 そうなれば、「じゃ、冬は何をしているのですか?」という質問が口を衝く。すると、「もちろん、なにもしないさ」とおじいさん。スカルマさんは、“もちろん”とは通訳でつけはしなかったが、私にはそれがついていたかのような返答に聞こえた。そして「だから、どうしたんだ?」とでも言いたげのようにも聞こえたのだ。

 その場面を反芻しつつ、夢うつつの中で少し物思いに耽る。こういう時間の流れ方って、ただただいいなぁ、と。そして、こんな時間、久しく持っていなかったなぁ、と。

 上海とデリーとレーの風景を重ね合わせても思ったが、“人間らしく”とはどういうことなのだろうか。人として生まれてきたのであれば、“人らしく生きる”というのが至高のものとシンプルに目指していいのではないか。では、その“人間らしく”とは何かと言えば、少なくとも自分をはじめとする「現代人」と称される人たちが行っているものではないのではないか…。
 きっと、現代における“人間らしさ”というものを再定義しなくては、私のその主張は正当性を得られないのだろうが、それでも人が人として本質的に求めるものがそんなに変わっているとは思えない。
 問題は、時代だけが好き勝手な方向に進んでいく中で、その“人間らしさ”をどう求めていけるか(取り戻していけるか)なのだと思う。実は、日本でもブータンでもラダックでも同じ問いを今それぞれに抱えていて、答えられないでいる。

 だからこそ、あがくようにブータンへもラダックへもわざわざ向かってみる。

 一日の最後には、「戒厳令」の中で唯一の
オフィシャルプログラムとして、地元で弁護士をしつつ社会活動をしているオッツァル・ウンドゥスさんの話を聞いた。Img_5833
 彼の話を聞いて思ったのは、ユートピアとして見られるようなラダックやブータンでさえ特別ではなく、抱える問題までがグローバリゼーションという波で均一化されてしまっているのではないかということだった。特に、「教育」を子どもたちに施していくことのジレンマは、シニカルに彼らを覆っていく。

 その話は、次のブログへと持ち越すことにする。今日はこれから高校を訪問し、授業を見て、生徒や教員たちと語らい、こちらも授業実践をさせてもらう。そうした交流の中で、オッツァル氏が語ったラダックの今を重ね合わせ、教育をテーマに語りたいと思っている。

p.s. ただし、今晩は尼寺に泊まり、明日以降は村で3泊ホームステイをするので、おそらくブログの更新は期待できません。それまでに原稿を書き溜めておきます!

2012年12月14日 (金)

DEAR30周年と池澤夏樹

 私は結婚式というものが大好きだ(もちろん、何度もしたいということではなく、それに出席することなのだが)。
 
なにより飲み放題というのがいいではないか。Img_4525心置きなく飲めるということほど、至福の時はない。一緒に列席した娘が、普段飲まない(飲ませてもらえない)ジュースにむしゃぶりつさまを見ていると、それは万人に共通する本能的なものなのだと思わされる。(当然、単なる遺伝なのだが(笑))

 先週末はお祝い事つづきだった。
 日曜日は、親戚の結婚式で、上京してきた両親を娘と東京駅に迎えに行き
(二人とも若い時に東京で働いていたが、今となってはまるで土地勘がなくなっている)四ッ谷にあるホテルニューオータニへ向かった。
 土曜日は、私が長年関わってきたNPO「開発教育協会(DEAR)」の設立30周年記念フォーラム
に参加した。会場となったのは上智大学で、奇しくもこちらも四ッ谷だった。

 記念フォーラムの名称は「わたしが、世界を変えるチカラになる〜池澤夏樹さんとともに〜」である。悲しいかな、この30年間(私が実質関わってきたのは、およそその半分の15年間)会員をはじめとする津々浦々の実践者たちの努力はあったものの、開発教育が市民権を得たとは言い難い。
 だからこそ、
30周年を機にこれからの30年より認知を広めていきたい!との強い思いがあるが、その糸口に池澤夏樹さんの知名度をお借りしようという魂胆がタイトルから見え透いている企画に携わったが言うのだから、事実そうであって、私自身、彼の講演を一番楽しみにしていた。(ちなみに、オープニングで会員による祝祭的なミュージカルが披露され、諸般の事情で自分もそこにプチ出演する羽目になったのだが、ある意味、それも見ものではあったのかも!?)

 池澤氏は、作家ゆえに文系だと思われがちなのだろうが、彼は埼玉大学理工学部物理学科に入学しているので
(ちなみに中退)、理系である(そもそも「理系/文系」の区別はナンセンスだが…)。そうしたバックグランドがあって、話は生物、そしてヒトのことから始まった。
Img_4518
 よく“進化”という言葉を使うが、池澤氏曰く、その多くは“変化”にすぎない場合が多いという。例えば、「ケータイが進化した」というのがそれにあたる。
 生物学上、“進化”といった場合、環境との関わりの中で淘汰されず生き残った場合のことを言い、そこで消滅してしまったものは“進化”はできなかったということになる。つまり、ただただ“変化”したものに対しては“進化”という言葉は使えない。

 この地球上で、ヒトほど生息域に広がりのある種はなく、普通、(微生物や菌類を除けば)個体数や棲む場所は限定されている。このヒト様の「繁栄」は、自分自身を変化させるのではなく、周りの環境を変えて適応してきた“文化戦略の成功”によるものだと池澤氏は指摘する。それは、個体の性質を変えてきた(本来の)生物の進化とは違う方法論なのだが、とりあえずのところ、それはまだうまくいっている。しかし、それはあくまで“とりあえずのところ”なのであって、池澤氏の話の節々には、すでにヒトは猛烈に終焉へと向かっていると警鐘を鳴らしていたように感じられた。

 非常に面白かったのは、縄文人と弥生人の比較である。
 縄文の人たちは、非常に遊びの時間が長かった。人口密度がそれほど高くなければ、少し歩けば食料にはありつけるのだから、無理する必要はない。それに比して、弥生人たちは、畑を所有することを選んだ。それは自分たちの生活を安定させる目的であって、効率よく、楽な生活をしようという彼らなりの幸福論だったにちがいない。しかし、結果は、食料の余剰ができ(生産過剰)、年寄りも生きていけるようになり(平均余命の伸び)、人口増加につながっていった。すると、ヒトはテリトリーの確保に忙しくなり、争いが絶えなくなっていく。
 弥生時代の遺跡からは、縄文時代のそれと比べて、やけに矢じりの発掘が多くなったという話の引用は、とても示唆に富んでいた。

 池澤氏の言葉を借りれば、ヒトは「ゆりかごから墓場まで消費者」なのである。都市の成立には必ず畑(農地)の所有があり、文明が滅びる要因には燃料の枯渇があった。
 彼が『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』
(「パレオマニア」とは“古代妄想狂”という彼自身が作った造語、と講演で言っていたと思う)という本の執筆のために世界各地を回り、文明のあれこれを見てきて、唯一、滅びていなかったもの。それは、狩猟採集を中心としたアボリジニーの人たちであって、物質に依存しなかった人たちだ。だから、彼らにウルル(エアーズ・ロック)はあってもピラミッドや万里の長城のような人工的な遺跡はなく、取材で写真を撮ろうにも被写体自体がなかったという話も皮肉である。

 ただ、アボリジニーの人たちが現代の消費社会に溺れてないと言いきれないことは、以前、オーストラリアを訪れた私にも分かっている。池澤氏も「昨晩、通った銀座のクリスマス・イルミネーションに背を向けることはできないだろう」と語っていた。「ただただ年寄りにできることは、使い切ってしまわないこと」とも話し、「次の世代はガラッと変わっているかもしれない」とやや希望的観測のもとにバトンが渡された。「そんな無責任な…」とも感じたが、池澤氏のみならず、誰もまだ明確な解は持ち得てないのだから、彼を責める資格はない。はっきり言えるのは、同じ過ちを万人が一様に繰り返し、まだ誰もその行動様式を変えることはできていないということなのだ。

 その解をDEARが一手に背負うというのは、あまりに任が重い。まずは、娘の暴飲暴食に歯止めをかけなくてはならぬ。解に至るには、きっと「隗より始めよ」ということなのだろう。
(あ、ダジャレで終わっちゃった…)
 

2012年12月 7日 (金)

異色の芸人、おしどりマコ・ケン

 ワークライフバランスも大事だし、インプット/アウトプットのバランスも必要だ。
 教員
というものは、ややもすると、忙しさにかまけてしまい、気づくとインプットがおろそかになってしまっている。アウトプットをするだけして、学生たちからは知力も体力も吸いとられ、ぼやぁ〜っとしている間にアホになっている。

 今年度は新しい
講義をつ持たされ、必死にアウトプットしているに、やや疲弊気味になり、そしてアホになりつつあることにふと気づく。そんな折、池住さんから「大学院の授業聴講しに来ませんか?」とのお誘いメールが来た(ちなみに、私個人にだけ来たものではないのだけど)池住義憲氏は、この業界で名のしれた名ファシリテーターである。そして、「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟」の原告代表であり、2003年の愛知県知事選に立候補した経験(結果は大差はついたが次点)もある、異色の人物である。
 今でこそ、私は「ファシリテーター」という職能を持ち合わせているかのように振る舞っているが、もとはと言えば、池住さんとの出会いがその始まりになる。私が大学院生だった時に受講していた国際協力・国際教育のリーダー養成講座「地球市民アカデミア」の夏合宿に講師として来られたのが池住さんで、日間にわたって繰り広げられたワークショップでの彼のファシリテーションにはとても魅了された。今でも“新しい学びのあり方”に触れたあの時の時間の流れ鮮明に覚えている(このエピソードは『開発教育−持続可能な世界のために』(学文社 2008年)の担当章の冒頭で触れている)

 彼から来たメール
は、「コンテキスト(Context、社会の現実)にまさるテキストText、教材)はないとの書き出しに始まり、尖閣諸島領有権問題、非暴力トレーニング、死刑制度、児童ポルノ問題、米国大統領選、狭山差別事件、セクシャルマイノリティ、拉致問題、ガンジー、マーティン・ルーサー・キングjretcと興味津々なワードが立て続けに並べられていた。日程を見れば、ちょうど私が夜間の社会人向け講座を担当する曜日で、日中であれば比較的都合をつけられるスケジュール。これ幸いと、さっそく池住さんに連絡し、立教大学大学院で行われる後期の彼の授業を聴講させてもらうことにした。


Img_4513  時折、アウトプットからインプットへシフトすること、そして環境を変えてみることは、いい刺激になる。なにせ、拓殖大学
と立教大学では吸う空気すら違っているように感じるのだから。
 この時季のイルミネーションは、拓大にもあることにはあるが、ミッション系である立教大学のそれに叶うはずもなく
(左写真)キャンパスに入っているショップだって立教がオシャレなカフェのTULLY'S COFFEEであるのに対して、拓大吉野家なのだ
 その歴然たる差を感じつつ
TULLY'S COFFEEのカプチーノを片手に、講義が行われる教室へと向かった。教室に入るや否や、いつもと違う明るさにワクワク感が募る。今回行われる講義は、興味津々のカリキュラムの中でも最も楽しみにしていた「おしどりマコ・ケン」の回なのだった。

 おしどりマコ・ケンは吉本の芸人さんである。ただ、皮肉なのだが私が彼らを知ったのは夫婦音曲漫才師さんとしてではなく(ごめんなさい!)、コラムニストとしてであった。定期購読していた『DAYS JAPAN』の連載コラム「おしどりマコ・ケンの実際どうなの?」での切り込み方、そして何より「吉本の芸人がなんでここまで?」と(池住さん同様)その異色ぶりに興味を惹き、気にはなっていたのである。

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 90分(では到底おさまりきらなかったが、ありがたいことに)の彼らの講義は、このブログで取り上げていてはきりがないので、詳細は割愛する。とにかく、それだけ1秒1秒に思いの詰まった講義だったのだ。

※ぜひウェブマガジン『マガジン9』の「おしどりマコ・ケンの脱ってみる?」を参照してもらいたい。特に最新アップの「『アフリカに原子力を推進するために、福島原発事故の汚染を住民が受け入れることが必要』というOECD/NEAアジア会議の件。」は、講義でも触れていた内容だし、総選挙にも関係してくるので、お目通しいただきたい。

 おしどりマコ・ケンの話を聴いていると、自分の講義で言っていることとも共鳴してきて嬉しくなった。

 紹介された飯館村の人たちの話で、「もう科学は信じない。みんな“答え”だけを置いていく。『これが答えです!』という先生はもういらない。『答えを探している』という先生の言葉を信じたいと思う」というのは、私が講義・講演でよく引き合いに出すグローバル教育の第一人者ディビッド・セルビー氏の「"I don't Know"と言える先生でありたい」という言葉とオーバーラップする。

 「マスコミは“自主規制”がかかっている」とのコメントは、メディア・リテラシーの授業で私も指摘している。それは、小さな自主勉強会に足を運んでくれた森達也氏からの言葉でもある。そこに込められたメッセージは、呪縛さえ解ければ社会は変わる(しかも自分たちから!)というものである。
 
 こうした重なりの実感は「思いは繋がっているんだ」との後押しに
る。ただ、その一方で、なかなかそれが力になっていかないという甚だしいもどかしさにもなっている。
 
最後、その思いをおしどりマコ・ケンにぶつけてみた。そして、(他に聴いているみんなも不思議に思っているだろうとお節介ついでに彼らがどうして吉本に居続けられるのかということについても。

 面白かったのは、ある提案。「みんな、テレビや雑誌でやる今日の占い』『今週の運勢のような占いものが好きなので、「今日のラッキーカラー」とかだけでなく、「今日のラッキー社会問題」とか載せたらいい」というもの。
 きっとイメージするとこんな感じだろう。例えば、「
牡羊座のあなたはのラッキー社会問題は『尖閣諸島領土問題』。独りよがりにならないで、みんなの意見も聞いて考えてみてね。留学生が近くにいたら絶好のチャンス!」とか、「双子座のあなたは『アラブの春』。もう過ぎ去ったニュースなんて思わないでね。だって、現地ではまだまだ解決してない問題なんだから♪」ってな感じだろうか。

 半分冗談半分マジなこの提案は、あまりに無頓着で思考停止になった日本人への警鐘であると受け取った。
 
 お二人は、震災前、「売れてやるぅ〜!」との野望を持って大阪から東京に乗り込んできた。しかし、震災直後、芸人の先輩がハッピを着て枝野さんの隣で「大丈夫ですよ」と言っていたのを見て、「テレビで売れるとはこういうことなんだ…」と愕然としたのだという。だから、その路線に乗っかれないことにはまるで未練ないように見えた

 「自分たちがここで吉本を辞めてしまったら、後に続く同じ志を持った後輩芸人が入ってこられなくなる」
 
 だから、吉本の芸人という立ち位置は変えずに、おしどりマコ・ケンは今の活動を続けている。そのタフさぶりには、ただただ感服する。とことん応援したくなる二人だから、今度は劇場に足を運んでみようと思う

2012年11月 7日 (水)

Gross Our Happiness〜幸福のカタチ

 先週木曜日(11/1)、拓大八王子キャンパス北門を抜けた向こうにある異国風カフェ&バーTOUMAI(トゥーマイ)と石川ゼミとの合同企画で第1回ワークショップImg_4375_3 「Gross Our Happiness」を開催した。
 今年度のゼミのテーマとしてきた「幸福論」だが、これがまた目に見えないものだけに、なんとも厄介で、
胡散い(と見られがち)。見えないものを無理に可視化する必要はないのだが、それでもできるだけその“胡散臭さ”を吹き飛ばすべく、カタチにする努力はしてみたい。

 第1回のテーマは「幸福」。
 国際学部だけあって長期休暇ともなれば、学生たち足取りは軽く、あちこち海外を飛び回るだが、帰国後、その経験を共有する場は意外とない。もちろん「ホウコクカイ」という名の場はあるのだが、得てして四角四面のツマラナイものになりがちだ。きっとそこに創発は起こりえない。もっとフランクに本音で語り合う場があれば、、、そう、居酒屋トークで構わないので、表も裏も、酸いも甘いも、本当に話したいことを吐き出したら、相当なブレインストーミングになる。だからこそ、教室ではなく、カフェ!! 象牙の塔を飛び出したところにも学びはあるのだから、北門のちょっと先まで足を伸ばそうと思ったのだ

 そうそう、TOUMAIは私お気に入りのカフェでもある。ここの空間は何とも落ち着く。遅くていい時は、出勤する前に立ち寄り、本なんぞ読み耽る(実は“ふける”ことができるほど余裕のある身分ではないので、せいぜいいられるのは1時間ほどだけど)
 しかし、拓大生に聞いてみると「カフェなんかありましたっけ?」と意外に認知度が低く、知っていても「気になるけど入る勇気がない」と敷居を高く感じている者が結構いる。御用達にしている私からすれば、これはあまりにもったいなく、機会喪失。だから、この企画への参加を機にTOUMAIの敷居を越えてもらうことももうひとつのねらいとした。実際に空間の心地よさを感じてもらい、次回からはどんどん足を運んでもらえるようにする。つまり、これは石川ゼミとTOUMAIのWINWINの企画なのである。

 ワークショップは、「幸せを感じる時は?」の自己紹介から始まり、グループごとImg_4386 海外経験の共有へと展開。海外に出ればこそ見えてくる「日本の良い点/悪い点」エピソードを話してもらった。
 最後挙がってきたものから「自分たちの社会や生活にどう活かせるか」と問いを投げかけ、ディスカッションをしてもらった。その議論の果てにある結晶が、きっと“幸福のカタチ”のようなものになるのだろうと思ったからだ。
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 ワークショップは非常にシンプルな構成だったが、だからこそ話は縦横無尽に展開して面白い。どのグループも議論はどんどん深まり、場は“哲学カフェ”へと化していたように思う

 終了間際、参加者ひとりひとりに、この場に参加し感想を一言にまとめて発表してもらった。わずか2時間の企画だったが、銘々が辿り着いた一言は、しっかりとした自分の「声」となっていた。
 こうした「声」のカケラをこれからもゼミ
生たちと集めていくつもりだ。そカケラをいろいろに組み換えてみれば、いつか見えるカタチなるのだろうか。そのプロセスをゼミ生たちと楽しみたいと思っている。

※最後のコメントを胸に、ひとりひとり記念撮影。いつかこのコラージュが意味を持って見えてくる日が到来することを期待したい。最後のふりかえりのひとりひとりのコメントはYouTubeで見ることができます。
   http://www.youtube.com/watch?v=78QMtn20GOY

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